この瞬間の要素をすべて感じて、ああ、好いなぁ、と思う。そんな情景に、心が揺れた。:東池袋
▪冷たい風の吹き渡る日、ふたり
暖冬だとか雨ばかりで変なお天気だとか、いろいろ言われる今年の冬。今日は、急に冷え込んで、薄暗い曇り空がひろがる昼間だった。コートを羽織り、冷たい風を受けて一人で街を歩いていると、頭の中でシューベルトの「冬の旅」が流れた。失恋した若者の旅をうたう悲しい歌曲である。こんな冬の日には、きまってその曲が聴きたくなる。冬はそこにあるすべての温度を奪い、心をも凍らせようとする。しかし、この日は違った。寒くてブルーになった気分は、同じインターン生でありAETE編集長である「はるちゃん」と合流することで一気にかき消された。
東池袋駅構内の「駅から始まるさんぽ道2019特別編」の受付でマップを受け取って、私ははるちゃんが来るのを待っていた。「ついた!」とラインが届き、ついで「どこだ」と絵文字付きでメッセージが届いた。どうやって説明しようかと考えていると、不意に電話が鳴った。しどろもどろに説明していると、はるちゃんの方が私を見つけた。遠くの人影がどんどん近づいてくる。コツコツとヒールの音が響く。久しぶりに会うはるちゃんだった。はるちゃんも、私と同じように黒いコートに身を包んでいた。この人もいっしょに冬を乗り越えているのだと思うと、なんとなく泣きたくなった。
合流後は、駅員さんの説明にしたがい、まずは雑司ヶ谷旧宣教師館に向かうことにした。
14:00すぎ、さんぽスタート。いつもはホストがイベントをリードする形だけれど、今日は自分たちのペースでマップのポイントを巡るといったもの。二人きり、道中どうなることやら。
▪たくさんの人が眠るところ
駅の階段を上りきると、そこには静かな町のすがたが広がっていた。右手には中華料理店がネオンの看板をともして営業しており、道路を挟んだ踏切のむこうには住宅地が広がっている。池袋と聞いてイメージするような風景とは全く違っていた。どこか懐かしさのある、街の郊外にみかける町の姿があった。
このあたりはちょっと知ってる、というはるちゃんについて、住宅地の細い小路を通っていくと、すぐに開けた。そこは雑司ヶ谷霊園。私は名前も知らなかったのだけれど、はるちゃんは、ここはたくさんの有名な人が眠っているの、と何気ない口調で教えてくれた。
わたしは夏目漱石、泉鏡花、竹久夢二、萩野吟子のお墓を見つけた。すっきり整理されたお墓もあれば、そばに木が植えられているお墓もあり、それぞれの遺族あるいは友人の心遣いと、故人の安らかな表情を見るような心地がした。
▪キリスト宣教師の住んだ館
道を間違えながら歩いていると、道がレンガ調になり、西洋風の掲示板が立つところに差し掛かった。その道を進んでいくとほどなくして雑司ヶ谷旧宣教師館にたどり着いた。
館は白い壁に緑の屋根という、この時代に建てられた西洋人の建物によく似たもののように感じた。門を通り、庭の方も眺めながら館に近づくと、さんぽ道イベントの参加者が集めるスタンプ台を見つけた。忘れないようにその場で押した。それから、館に入った。
中に入ると、重厚な色の木でできた洋館。居間にはこの館とその主についての展示、食堂にはピアノや揺り椅子が置いてあった。階段を上ると庭が良く見えた。大正や昭和の本や雑誌が本棚に並んだ部屋もあり、私はしばし、その時代に思いを馳せた。
今も、この館には毎日来訪者がある。時が流れて館の主がいなくなっても、建物は佇んでいる。私たちは静かな昼間の姿をひとしきり見て、次の場所へと向かうことにした。
▪また歩く―寄り道も楽しい!―
次の目的地は目白庭園。天気は悪く、もうすぐ雨の降りだしそうな雲が空にかかっていた。線路を越え、八百屋の脇を通り、進むと、はるちゃんが有名な神社があると教えてくれたので、寄り道をする事にした。
向かったのは鬼子母神。そこの駄菓子屋さんが有名なのだという。境内に入ると、子どもの頃に駄菓子屋で見たあの光景が、屋台式の店にならんでいた。店にはやさしそうな老女の店主が立っていた。話を聞くと、なんと1781年から営んでいるのだそう。あとで調べたところ、この、鬼子母神の上川口屋が、日本で一番古い駄菓子屋だということがわかった。
はるちゃんとわたしは、それぞれ思い思いに気になったお菓子を買って、店を後にした。
▪ずんずん歩く―目白庭園―
買った駄菓子をさっそく開けて、食べながら歩いていく。周りはよくみる住宅地のようで、ときどき昔ながらの食堂などがぽつりぽつりと立っている。
そのうち、雨がぽつりぽつりと降り出してきた。歩道橋で線路を渡り、まっすぐ進んでふたたび踏切を渡ると、目白庭園についた。
まずスタンプを押して、私たちはそこで雨宿りをした。
この時私たちの見た風景を、私はなんと表せばいいのだろう。風情があるという言葉では物足りない。私たち二人は白く塗られた壁と低い門を通り、受付の二人の女性が教えてくれたスタンプ台へと向かった。雨とスタンプのために気持ちは急くのに、この丸い岩の道をとんとんと歩きながら、中央の池とそれを取り囲む木々を見つめているその瞬間の、心の動きと色。寒さと心の温かさと、雨に降られる高揚感と、そんな自分の幼さを自分で省みて、おもしろいな、と思うすべて。周りは日本中でよく見る住宅地なのに、ここへ入ると、まるでディズニーランドに行った時のような箱庭にいるような不思議な感覚を感じる、そんなこの瞬間の要素をすべて感じて、ああ、好いなぁ、と思う。そんな情景に、心が揺れた。
▪まだまだ歩く―東京芸術劇場―
目白庭園を後にして、ふたりで東京芸術劇場をめざして進んでいく。しばらく歩くと、参道を反対に進んで大通りに出た。
再び住宅地に入り、進んでいくと、また大通りに出た。雨風の冷たさにだんだんと身も心も限界、という気分になった時、ようやく最後のスタンプスポットにたどり着いた。今回は、16:00までに東池袋の受付に戻らないと景品がもらえないとのことで、ここを巡るのはまたの機会にゆずり、私たちは東池袋へと戻ることにした。
▪終着点