AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

22年度編集長
中村 斐翠

真っすぐな人のきらきらした目が好きです。 正しいときに、正しい重さの言葉を選べるようになりたい。

2021.10.21

クリエイティブが集まる理想のアトリエが、NewMakeだった。

和えて special

AETE編集部が所属している株式会社Story&Co.は、『想いの交差点』を創出する新たなプログラムを、今年7月にスタートしました。
サステナブルなファッションコミュニティを創出する、「NewMake(ニューメイク)」です。
大量消費・大量廃棄を余儀なくされる現代のファッション業界に一石を投じる試みとして、パートナー企業から提供してもらった洋服や雑貨類を利用し、新たな価値作りに挑みます。
その拠点となる「NewMake Labo(ニューメイク ラボ)」には、個性溢れる作り手・NewMakerが日々集まり、ものづくりと向き合っています。
私たちはこのシリーズで、彼ら一人ひとりにスポットを当て、そのルーツや想いを探ります。そして、服を通じて大切な想いや物語のバトンを繋ぎ、新たな価値を生み出すNewMakerの魅力を発信していきます。

まずはNewMakeディレクター、Mayuこと吉村真由さんに、服作りのルーツから、NewMakeとの出会い、今後の展望まで、お話を伺いました。

■服飾という道を選び、進んでゆく。

今日はよろしくお願いします。
まゆさんは京都が好き、というイメージが強いです。生まれも京都なんですか?

―生まれも育ちも大阪です。けれど京都がすぐ隣にあったので、大阪よりも親しみがありました。大学も京都で、上京するまではずっと京都のそばにいたんです。


なるほど。京都のどういうところが魅力なんでしょうか。

―人の集まる雑踏の隣に、自然が共生しているところです。
街並みを抜け、鴨川に出ると急に視界が開けるんです。のどかで静かな感じがするけれど、田舎ではないから栄えています。お店やカフェが一箇所に集まり丁度良い距離感で並んでいて、買い物も楽ですね。なんでもあるのにのびやかで、都会なのに人の生活が感じられる。そういうところが好きです。

大学では服飾を学んでいらっしゃいますが、いつから服飾の道に進もうと思ったのでしょうか。

―実は、始めから服飾をやろうと考えていたわけではないんです。高校の頃までは看護・医療系に進もうと漠然と考えていました。高校3年生の夏、進路を考えるようになって急に服飾をやりたいと思い始めました。


へええ、いきなり。そのきっかけはありますか?

―大きな出来事があったわけではないのですが、ふと「やりたいことをやるという選択をしてもいいんだ」と思ったんです。その時に、服飾という選択肢が出てきました。元々おしゃれするのはすごく好きで、高校生の頃から自分のファッションを発信したり、素人なりに服を作って学生主催のファッションショーに出したりと、服飾に触れる機会があったんですよね。母親や祖母が皆何らかの形でものづくりをしていて、ミシンや糸が身近にあったのも大きいと思います。


大学では服飾について学びつつ、休日には服飾の専門学校にも通われていますね。始めから専門学校に行くでもなく、大学卒業後専門学校に入り直すでもなく、ダブルスクールという方法を選んだのには理由があるんですか?

―急に服飾に進路を変えたので心配する両親を安心させたいという思いもあり、大学に入りました。でも本心では、広く浅く学ぶ大学よりも、深く掘り下げることのできる専門学校に行きたいと思っていたんです。卒業してから専門学校に入り直すという手もあったけれど、それでは時間がかかりすぎてしまうと思い、ダブルスクールを決意しました。


ダブルスクールというのは簡単なことではないし、大きな決断だったと思います。大学に入学してから、服飾の道を選んだ事への後悔や迷いはなかったですか?

―なかったです。というより、忙しすぎて考え直す時間もありませんでした。授業やコンテストに追われ、常に作ることが頭の中にある状態だったんです。忙しいししんどかったけれど、毎日本当に楽しかったです。

 


友人の結婚式に、まゆさんがオーダーメイドで作ったドレス。


■働く中で見つけた、自分が本当にやりたいこと。

学校を出た後、テーマパークで舞台衣装制作の仕事をされていたまゆさん。パターンと一口にいっても色々ある中で、どうして舞台衣装で、どうしてテーマパークだったのでしょうか。

―舞台衣装に興味を持ったのは、当時アイドルが好きだったからです。アイドルというコンテンツ自体が好きで、舞台衣装作りをやってみたいと思うようになりました。
テーマパークを選んだのは、喜んでくれる人の数が圧倒的に違うから。私の力で人を笑顔にできる機会が一番多いのはどこか考えた時に、国籍人種年齢問わずみんなが見てくれて、楽しんでくれるテーマパークだと思ったんです。

働いている中でやりがいを感じたことはありますか?

―自分たちの作った衣装を見て泣いている人を目の前で見た時は、こちらまでうるっときてしまいました。ショーの当日は、何かがあっても対応できるようすぐそばで見守っているんです。目の前でゲストの表情を見れるから、衣装に対する反応を肌で感じられて、嬉しかったですね。

そんな舞台衣装の仕事を一度お休みして、NewMakeで働こうと思った理由はなんですか?

―コロナ禍で思うように衣装作りができない時期、一度自分の好きなこと、やりたいことについてじっくりと向き合ったんです。その時気づいたのは、私はただものを作るのが好きなのではなく、誰かがそばにいる環境で一緒に作るのが好きということ。誰かと何かを作っている、その時間や空間が好きなんです。
そういう軸で考えたとき、私がやりたいのって場づくりだと思いました。ものづくりをする人たちが集まって、自分の得意と相手の得意を掛け合わせたり、それによって誰かのものづくりの幅が広がったり。いろんなジャンルのクリエイティブが集まり、空間を共にするアトリエを作りたいと思ったんです。
そんな思いを抱えていた時NewMake立ち上げの計画を知り、私がやりたいアトリエはこの形だ!と思って即コンタクトを取りました。

確かに、まゆさんが仰るアトリエの形は、今のNewMakeに近いものがありますね。
NewMakeという場で働くようになって、やりたいものがかたちになっているというような実感はありますか?

―はい。実現させてくれた拓さん(株式会社STORY&Co.代表)には感謝しかないです。
NewMakeのような形って、まだ誰もやっていない新しい試みですよね。でも、拓さんがやっていなくても誰かが絶対やっていたと思うし、これから当たり前になる形だと思うんです。手探りだから大変な部分はあるけれど、最初から携わらせていただいているというのはすごく大きいですね。

 

■NewMakeを、人と出会える場にしていきたい。

NewMakeを今後どのようにしていきたいですか?

―個人的には、「クリエイターが集まり、横のつながりを広げられる場所」という認識を広めたいですね。ここに来れば何か素敵な出会いやひらめきが待っている、そんな期待を胸に訪れる場所にしていきたいです。
先ほどのアトリエに通ずる部分もあるけれど、ものづくりに携わる一人として、ずっと「人と出会える場が欲しい」という思いがあったんです。誰にでも得意不得意があって、一人でできることってどうしても限られてきてしまうから、補い合える誰かと出会える場を作りたい。人やものに生で触れられて、出会いやセレンディピティを求めて気楽に相談しに行ける場所、というような位置づけになりたいですね。

ご自身がクリエイターであるまゆさんらしい視点ですね。最後に、まゆさんご自身がやりたいことについて教えてください。

―ひとりひとりの頭の中にある個性に、私の持つエッセンスを重ねて形に起こす、というようなオーダーメイドをしていきたいです。
テーマパークで働いているときは、不特定多数の人を喜ばす仕事をしていました。でも、友人の結婚式のドレス製作を頼まれたとき、「身近で手の届く人を喜ばす」というのも幸せの形だと思うようになったんです。自分と人を重ね合わせたものづくりを実現するために、私自身もNewMakeを出会いの場として利用していきたいです。

 

「NewMakeを、空間を共にするアトリエにしたい」という想いは、それぞれがそれぞれの制作物に向き合いながら、時間や空間を共にしていた学生時代の経験がルーツとなっているという。どんなに大変でも、それを仲間と共有しあいながらものづくりに向き合う楽しさが忘れられないのだそうだ。

「誰かと何かを作っている、その時間や空間が好き。」
なんだか分かる気がする。私も文化祭や演劇の準備が大好きだったから。

NewMakerが横一列に並び、様々な方法でものづくりに向き合っている様子を眺めていると、本当にそんなアトリエになっている気がして、私は一人でわくわくしてしまった。

中村斐翠

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