AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

19年度編集長
早川 遥菜

ハンバーグが大好きと公言していますが、 「母の作る」ハンバーグが大好きなのです。 気持ちに素直な人であり続けるために、 今日も沢山の物語に出会います。

2020.01.28

革の匂いがまだほんの少し鼻の奥に残っていて、 この街を離れるのが少し寂しくなった:奥浅草

和えて special

■迷子の私だけの、特権

行ってしまった…。
次のバスは15分後。次にバスが私の目の前に来る頃、それは旅の集合時刻だった。
確かに20分前には浅草に着いていたのに…。
急いで今日のホストである東京メトロの社員さんに電話をかけると、
「お、はるちゃん?迷子になったか?」
いつもお世話になっているメトロの社員さんにも、どうやらばれているらしい。

ちなみに、バス停がわかりにくかった、という言い訳は、全く通じない。
バス停は、どうして見つけられなかったんだろう、と思ってしまうほど分かりやすくて単純なところにあったものだから、思わず苦笑いしながら、同じくバスを見逃してしまったおばあちゃんと一緒にうなだれあった。
いつまでたっても成長しない私の迷子っぷりに思わず、ふぅとため息をついて足元を見ると、「ちょこっとこしかけ案内板」と書かれた、小さな浅草の地図が私の足に広がっていた。
バスに間に合わなかったから見つけたもの。「迷子の私」だから、見つけたもの。
ふふふ。少しだけ、にやけてしまった。

■同じ浅草でも

今日は、「革とモノづくりの祭典 浅草エーラウンド」が催されている3日間に合わせて開かれた、東京メトロ主催の旅するトーク。三ノ輪、入谷に続いて、今日は奥浅草での開催だ。
そんな3日間の旅するトークも今日が最終日ということで、たくさんのゲストが参加してくださった。特に今日は親子連れの参加が随分と目立つ。これまでのゲストの中で断トツの最年少記録更新だ。ついつい嬉しくなって話しかけてしまったが、知らないお姉さん(彼らにとってはもうおばさん?)に話しかけられてびっくりしたのか、きょとんとさせてしまった。
そして今回の旅には、なんと札幌旅するトークで出会った方も。
北海道での旅するトークが楽しくて、東京に用事があったついでにわざわざ足を運んでくださったらしい。
「はるちゃん、元気だった?また北海道来てね!」
そんな風にゲストの人に声をかけてもらえると、私を迎えてくれる街がどんどん増えていることを実感できて、目の奥がぐんと熱くなる。

また今日のゲストスピーカーもフィナーレにふさわしい方が。
ダンディなおひげと優しい笑顔がとても素敵なのは、今回のホスト、エーラウンド実行委員長の川島さんだ。

被っている帽子と革靴は、川島さんの近所に住んでいらっしゃる方が作ったものらしい。さすが、街への愛は旅が始まる前から伝わってくる。そして今日の旅の会場までの交通手段は、なんと自転車!かれこれ27年も同じ自転車を使って奥浅草の街を走り回る、奥浅草の名物委員長なのだ。
そんな川島さんが愛する「奥浅草」という街だが、実は意外と認知度は低い。
雷門や仲見世がある場所は「観光浅草」と呼ばれ、同じ浅草でも観光客や認知度、街の活気など全てにどうしても差が出てしまうという。
そんな奥浅草を盛り上げようと目を付けたのが、「革」。
「秋葉原はアイドル・オタクの街であるように、奥浅草と言えば革の街だ」
日本だけに関わらず外国でも知ってもらえるような、そんな街にするにはどうしたらよいのだろう…
そんな街への期待をもとに協力して作り上げた「浅草エーラウンド」。
この「エーラウンド」は、一体どんな意味が込められているのだろうか。
川島さんによると、エーラウンドの「エー」には3つのAが存在するという。
一つ目が、浅草の「A」。二つ目が、Around(周囲、活動)の「A」。そして三つ目が「artisan」(職人)の「A」。随分ユニークなアイデアだなあ。

■みんなで作る、革靴の奥深さ

今から150年前、日本が洋式の文化を取り入れ始めた頃に、日本でも西洋靴の制作が始まった。水が必要なので、最初は築地で行われていた革靴作りも、海が近く塩分が入ってしまうために墨田川が流れる奥浅草で作られるようになったという。
川島さんの祖父も、名古屋で靴を作る職人さんだった。商売繁盛のために東京にやってきたことから、奥浅草と出会い、靴づくりは川島さんのお父さんへ継承された。
そんな家族代々で伝わる革靴作りが川島さんへと受け継がれるのは自然なことだった。
しかし、川島さん自身は、引き継ぐことなど考えてもいなかったという。調理師の資格を取ろうと専門学校に通い、「食の美味しさ」を切り口に、新しく自分の道を切り開いていこうと考えていたそうだ。
もし、お父さんに「戻ってきてくれ」と言われていなかったら、今頃焼き肉屋のオーナーになっていたかもしれないね、と悪戯気に笑う川島さんに、私は口を開けてぽかんとしてしまう。もし焼肉屋さんになっていたら、今日旅仲間として会うことはなかったのか…。出会いというものは本当に不思議だ。
奥浅草は、東京の真ん中にある街とは思えないほど、近所付き合いが盛んである。それもそのはず、革靴というのは全ての工程を同じ場所で行うのではなく、パーツによって分かれているらしい。なので、一つの靴を作るのにも決して一人の職人さんだけでは作ることができない。時間と想いが詰まりに詰まっているのが、革靴作りの特徴なのだ。
今日の会場に来るまでに、私は地面に豪快に絵を描いている子どもたちに出会った。地面に絵を自由に書いてよい街なんてなかなか東京にはないと思っていたから、子ども達の伸び伸びとした絵を見るだけで、このご近所付き合いが素敵なことがうかがえる。

■子ども達に学ぶこと

奥浅草のマップを見ながら、各地の観光地や名物店を案内してもらい、お待ちかねの銀座線を革で作る、レザークラフトの時間がやってきた。
革は水につけると、魔法のように柔らかくなるため、子どもでも安心して作ることができるのが、レザークラフトの魅力。革の匂いがかすかに香ってきて、とても優しい気持ちになりながら無我夢中で工作していく。

そして誰よりも一番に輝いているのは、子どもたちの目。
お父さんとお母さんと力を合わせて、銀座線のキーホルダーを作り上げていく。
「できた!!!!!!」
嬉しそうにメトロの社員さんに見せる子どもたちの顔に、私はメロメロだ。
「なんの電車がすきなの?」
と聞くと、旅の始めはきょとんとしていた男の子が、私に出来上がったばかりの銀座線を見せながら
「銀座線も好きだけど、一番は東西線!!!」と嬉しそうに答えてくれた。

色だけで全ての路線を言うことができる男の子がいたり、「帰りは銀座線に乗るんだ」と教えてくれた子がいたり。好きなことに夢中な彼らの表情は、就活で目の前のことに必死な私が忘れていた、純粋そのものの顔だった。
いいなあ、好きなことを全力でやる時の目はとてもキラキラしている。

■何かに夢中になれる場所に

川島さんの物語を聞いて、自分だけの銀座線キーホルダーを作って。
すっかり「奥浅草充」な私たちを、川島さんは更に別の場所へと案内する。
なんと、普段はなかなか入る機会のない、革でできた作品が多く収納された革靴産業資料館に入らせてもらうことに。

紅白歌合戦に出場した歌手の靴や、野球選手のグローブ、力士の靴など、その数や種類は様々で、多くの人に愛されていることを改めて感じた。
そして、3日間に渡って行われているエーラウンドの会場にも足を運ぶと、
革のバッグやキッド作りなど、多くの人で賑わっていた。
「朝の10時から作り続けてまっす!」
16時を指している時計の針なんて気にしないかのように、一生懸命完成目指して作り続けるエーラウンドのお客さん。
レザークラフトをする子ども達の目と、革のバッグを6時間も作り続ける方の目のきらめきには、似ているものがあった。
大人になればなるほど少なくなるであろう、何かに無我夢中になるということを再び思い返すことができる。ここはきっとそんな場所なんだろうなあ、

長くこの街に住む川島さんから見た、奥浅草。それはまだまだ発展途上で、魅力が伝わり切れていないということだった。
150年続く品質の良さを、街から発信していきたい。
また来てね。
革の匂いがまだほんの少し鼻の奥に残っていて、
この街を離れるのが、少し寂しくなった、
そんな温かい街に出会えました。

早川遥菜

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