AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

編集・ライター
清水 舞

いつでもどこでも、自分らしさを求めて 舞台に出たり、言葉を描いたり、しています。 コーヒーと牛乳と、パン屋巡りが好き。

2020.01.21

ここにずっとあるから。いつでも来てくださいって思っています。おかえり、ただいまのような。:入谷

和えて special

■古いお店に並ぶ若者

今回の旅するトークの舞台は入谷。先日上京してきたばかりの私にとって、ここもまたはじめて降り立つ街だった。
新しい街に行くとき、私はできるだけ昔ながらの喫茶店に足を運ぶようにしている。そこでの会話、雰囲気からその街のにおいのようなものを感じ取れるような気がするからである。
喫茶店に行くと既に列ができていた。最後尾にまわり、並んでいたお姉さんに「いやあ、人気ですねー」などと呑気に話しかけると「あの、そこ先頭ですよ」と、ちょっと曇った顔をされてしまった。ああ、ごめんなさい。
小さくて古いお店に並ぶのは、今時の若者たち。それはなんだか過去と現在がつながるようなエモーショナルな光景だった。とはいえ、せっかちな私は行列が苦手なので、結局もう一つの気になっていたお店に向かうことにした。ところが思いのほか道のりが遠い上に、やっと到着したお店は営業時間外。気を取り直して他の店に行こうと思ったら、そちらも遠い。どうやら「入谷」は随分広い街のようだ。ちなみに、喫茶店には行けなかった。詰めが甘い。

■待って、待って毛塚さん

集合場所に行くと、今回街の案内をしてくださる毛塚さんとゲストの皆さんが既に集まっていた。建築に興味がある方、近くでお店を営んでいる方、古いものが好きな方。参加のきっかけは様々のようだ。
しっかりと取材して立派な文章を書かなければと気を張っていたが、楽しそうに旅がはじまるのを待つゲストの方々を見ていたら、格好つけるのはやめて素直に楽しもうと、いつの間にか緊張がほぐれている自分に気づいた。
今回の案内人である毛塚さんは「台東区まちづくり協力員会」の会長さん。この団体では、様々なまちづくり活動を横断的に応援したい、という想いのもと街歩きツアーなど様々なイベントを企画している。
そんな台東区を隅々まで知る毛塚さんの案内のもと、まず初めに訪れたのは『Iriya Plus Caffe』。
このお店は、かつて商店だった建物を改装したカフェである。星野源さん主演のドラマ「プラージュ」のロケ地として使われたこともある店内は、賑わっているのに不思議と落ち着きがあって、古い建物特有の空気感が何とも心地よい。店内の写真を撮ったり見学したりするも束の間、どんどん街の歴史や魅力を語っていく毛塚さんの姿から、この限られた時間のなかで街の良さを余すことなく伝えたい、という想いを感じた。私もこの街のことをたくさん知りたい。

■寄りそって、なじませる

次に訪れたのは、今年6月に本格始動予定のシェアオフィス『快哉湯』。
今回は、工事中のところ特別に中を見せていただいた。お話をしてくださるのは、快哉湯の再生を担当する株式会社まちあかり舎取締役であり、改修工事を担う株式会社ヤマムラの代表でもある中村さん。
快哉湯は昭和3年築の銭湯。戦災や災害をのりこえ、長く地域の住民に愛されてきたが、2016年に惜しまれながら閉館。中村さん自身も子供の頃通っていたという思い入れの深い場所だった。ひとつひとつ言葉を選びながら丁寧に説明してくださるその姿からこの建物への愛が伝わってくる。一度は閉館したものの、家主の方やこの場所を愛する有志の方々の働きかけがあり、ついに今年、シェアオフィスとして再生することが決まったのだ。株式会社ヤマムラは、木造建築を得意とする会社で、快哉湯の耐震補強も木造で行う。建物の歴史に寄り添いながら、現代になじませていきたいと語る中村さん。建物内には番台や銭湯画、下駄箱などが残っていてかつての銭湯の名残が随所に見受けられた。銭湯としての機能は終わってしまったものの、建物の歴史に寄り添いながら現代になじませていきたい、という中村さんの想いは、この建物から溢れるほど感じられてくる。

■のこしかた、あります

中村さん曰く、これからの建築業界は建物の「新築」でなく「再生」へとシフトチェンジしていくのだとか。
快哉湯を残すことによって、今後どうしていこうかと迷っている現役の銭湯を営む方にも、残す方法があるのだという見本になればと語る中村さん。またこのシェアオフィスは、単なるレンタルスペースとして貸し出すのではない。「再生」というテーマに沿った企業に貸し出すことで、ゆくゆくはこの場所を建物再生の拠点にしたいと考えているそうだ。一方で、利用用途はシェアオフィスに限らない。かつて更衣室だった場所にキッチンを施工し、広いイベントスペースを設けた。銭湯として愛されたこの場所を再生し、再び地域の交流の場として開いていく。人と地域、企業が一体となって発展していく。なんだか新しい時代の幕開けに立ち会っているような興奮を覚えた。
「いってらっしゃい」中村さんに見送られ快哉湯を後にする。

■大好きになっちゃった

次に訪れたのはゲストハウス『toco.』。一見するとおしゃれなカフェのようだ。実際に、日中はカフェ、夜はバーとして営業している。

「おしゃれですねえ」「そうですねえ」などと話しながらカフェを抜け、宿泊スペースのある奥へと進む。そこで私たちを待っていたのは、誰もが歓声をあげてしまうほど見事な庭園だった。実は私、もともとこのゲストハウスに興味があり中に庭園があることは知っていたのだが、実際に見ると聞きしに勝る素晴らしさ。
私が好きな書籍の一つに谷崎潤一郎著『陰影礼賛』というのがあり、その中に「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える」という一節があるのだが、まるでその文章がそのまま現れたかのような美しい光景だった。そしてもうひとつ、私が惹かれたのはそこで働くスタッフの方の掃除の仕方だった。庭と母屋をつなぐ縁側を、すっすっと木目に沿って雑巾がけしていく。その丁寧な仕事に、じいっと見惚れていると「入谷の街歩きですか?楽しんでくださいね」と声をかけてくださった。ああ、なんて素敵な場所なのだろう。東京にこんな場所があるなんて。なんだかとっておきの場所を見つけたような気分だ。

■つながりつづける建物

満たされた気持ちで、toco.を後にする。最後に向かったのは株式会社『まちあかり舎』という不動産会社。まちあかり舎のオフィスになっているのは、この場所で80年続いた『武蔵屋酒店』を再生した建物。1階には、まちあかり舎と『食堂おぼろ』が、2階には『キノネアトリエ』というシェアオフィスがそれぞれ入居する。毛塚さんによると、まちあかり舎は入谷地域、ひいては隣の谷中下谷地域一帯の建物再生を手掛けているため、この地域では数々の再生プロジェクトを手掛ける企業として有名である。主に家主の方から古い建物を預かり、現代でも使える状態にしてから新たな借主に貸し出す事業を展開しているまちあかり舎では、古い建物だからといって、必ずこうしないといけないといものはなく、建物を読み解いて、その人なりの正解をみつけることを大切にしている。もし建物を取り壊していたら、駐車場になっていたかもしれないこの場所が、まちあかり舎によって新たなつながりの場として生まれ変わっていく。途切れてしまうのでなく、この街のつながりを生かせるのも建物再生ならではの面白さだ。
「いってらっしゃいませ」水上さんに見送られまちあかり舎を後にする。

■待ってました

さあ、ついにお待ちかねのランチをいただくため『ayacoya』へ向かう私たち一同。道中、道がとても曲がりくねっていることに気づいた。震災や戦争被害に遭わなかったため、区画整理がされず昔ながらの曲がりくねった道が多いのだそう。建築も昔のまま木造のものが多く残されている。100年前の人と同じ道を歩いているなんて…と、ついつい妄想が膨らむ。
そんな妄想をしていると、どうやらayacoyaへ到着したようだ。ここは、店主のあやこさん、お父様、お母様の3人で営業されている元料亭の古民家カフェ。古民家を生かした店内は、まるで祖父母の家のようなほっと落ち着く空間だ。それにしてもエスニックな良い香り。大好きなパクチーもある。「うわ、これ絶対美味しい」まだ何も食べていないのに確信する。この日のランチの主役は、ベトナムの総菜パン、バインミーとカレー。バインミーはあやこさんの手作りで、カレーはお父様が30年前にやっていた喫茶店で出していたものと同じレシピなのだとか。

たくさん歩いた後は、お腹が空くもの。皆、和気藹々と語らいながらもパクパクとものすごい勢いだ。食事をいただきながらayacoyaの物語を伺う。

■ayacoyaの物語

ayacoyaは、今から50年ほど前はお座敷が17もある、立派な料亭だったそうだ。ayacoyaのある辺りは、もともと「三業地」という料亭、置屋、待合の3業が集まって営業している地域だった。あやこさんのお母様も、結婚当初は芸者としてお座敷にでていたという。ところが、時代の変化とともに料亭の経営が難しくなっていく。そのため、お父様は実家の料亭を継がずに大学へ行き、一般企業へ就職したそうだ。その後、就職した会社を辞め、脱サラ。料亭とは別の場所で以前からやりたかった喫茶店を始めた。喫茶店をはじめて2年後、なんだかおかしいことに気づく。世間ではいつの間にかバブルがはじけていたのだ。地価が下がったことで移動してきた大企業の社員が毎日来店し一時は連日行列ができる程の店にまでなったが、そんな毎日も長くは続かなかった。ある日を境に、ほとんどの大企業が撤退をはじめたのだ。その後、中小企業が引っ越して来るも、やはり結局は長続きしなかった。ちょうどその頃に、現在のayacoya、当時の住まいである古民家が壊れた。
民家の修繕には、大変な費用がかかるため喫茶店をやっている場合ではなかった。金策に困っていた時、銀行が店を始めることを勧めてきたという。「お金を借りて、ついでに修繕したらどうかって提案を受けたんです」10年続けた喫茶店をやめ、なんと自宅でおでん屋を始めることに。なぜおでん屋?私はふと疑問に感じてしまった。どうやらお父様によると、喫茶店を営んでいた経験から自宅で新たな店舗をやるときには何が受けるかを周りの環境を鑑みて検討した結果、地元には「おでん屋」がないと思ったことがきっかけらしい。そんな地域や、年齢層を考えた末に出店したおでん屋はなかなかに繁盛し、20年続いたものの、思った以上に重労働だった。腰に痛みを感じ始めたお父様に、ランチを始めてカフェにすることを提案したのは、実は娘のあやこさんだったという。

似たもの親子なのかも

お話を伺うと、時代の流れ、周りの助言を柔軟に受け入れながら生きてこられたようだ。お父様曰く、今の時代は横のつながりが大切。自分だけでは独りよがりになってしまうから客観的な人の手を借りるのが一番だという。
続いて、娘のあやこさんにもお話を伺う。昔からカフェの開業を夢見ていたのかと思いきや、意外にもそうではなかった。お父様の喫茶店を手伝ってはいたが、自身は服飾の専門学校のスタイリスト科で学んだあと一般企業に就職。ところが、その会社が一年ほどで倒産。7、8年程おでん屋を手伝うものの、このまま家にいていいのだろうか、と思ったあやこさんは、一度家を出ることを決意。カフェを始めるまでに様々な業種を経験したのだそうだ。
そんなあやこさんがこの古民家でカフェをやろうと思った理由を伺う。
周りから褒められても、今までは自分の実家の価値に気が付けなかったが、周りにビルや新しい建物ができ始めると、古民家の良さに気づくようになったというあやこさん。自分の実家の価値は、自分だけではわからない。そこに周りの後押しや支えがあったことで、カフェを開くことに繋がったそうだ。
「実家があったから、今のカフェがある。それだけなんです。私一人では、どうにもこうにも力不足だから。これからも、いろんな人の力を借りてやっていきたいですね」というあやこさん。なんて柔軟で飾らない人なのだろう。この言葉、先程お父様も近しいことを仰っていたような…。考えが似ていて気が合う親子だからこそ、こうして今も一緒にお店ができるのかもしれない、なんだか楽しそうだ。

■おかえり、ただいまが言える場所

最後に、あやこさんが目指すこれからのayacoyaの姿を伺う。
「お母さんがゆっくりできる場所でありたいし、子供がただいまって帰ってこられるような場所にしたい。」
実際、今も平日はあやこさんのママ友さんが沢山お客さんとして来てくれるそう。「ここに来れば誰かしらいるよねっていうような、第三の家のような場所にしたい。うちは、ここにずっとあるから。いつでも、来てくださいって思ってます。おかえり、ただいまみたいな。」
今月上京したばかりで心細い私に、まるで帰る場所ができたようだ。嬉しい、なんだか東京でも頑張れる気がしてきた。あやこさんの温かい想いを伺い、はじめてayacoyaへ足を踏み入れたときの感覚を思い出す。店内のほっと落ち着く雰囲気に癒されたが。どうやらその雰囲気を作っているのは、建物だけでなくあやこさんやお父様でもあったのだ。まちあかり舎の水上さんが、建物再生に正解はなく、その人なりの正解をみつけてほしいと仰っていた意味がわかったような気がした。ayacoyaは、ayacoyaの正解を見つけたのだと思う。
「いってらっしゃい」あやこさん、お父様に見送られayacoyaを後にする。
毛塚さんと、ゲストの皆さんはこの後「革とモノづくりの祭典 浅草エーラウンド」に向かわれるが、残念ながら私は別件がありここでお別れ。でも、すぐにまた会える気がするのは、この街で出会ったからだろうか。思い起こせば、今回お邪魔したどの場所でも「いってらっしゃい」という言葉をかけていただいた。
「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」
入谷は、そんな言葉がよく似合う街だった。

清水舞


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