AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

編集・ライター
白水 美里

生粋の道民。北海道の冬は苦手だけど、夏が素敵すぎるから、やっぱり北海道が好き。トマトとまちづくりとワクワクしてる人が好き。

2020.03.10

しいたけ農家の次男としてアトツギに悩む僕が「アトツギ北海道」始めます。

和えて special

■「アトツギ」北海道?

1月末なのに雪がほとんどない札幌。
「雪まつりの雪像、ちゃんとできるのかなぁ。」なんて思いつつ、いつもと違う、刺すようなコンクリートの冷たさに凍えながら、アトツギ北海道の会場へ向かった。
今年の札幌の雪事情はいつもと様子が違う。それに釣られたように、今回のアウタビ北海道までいつもと様子が違うみたいだ。
しいたけ…?アトツギ…?
札幌の住宅街で育ち、会社員に囲まれたアトツギと無縁な私がこのイベントに足を運ぶのは、「アウタビ北海道」の面白さを知っているから。
冷たくなった手で会場の扉を開けると、ふわっと暖かい空気に包まれた。

会場は、コワーキングスペース「カンテ」。
札幌で最も多くの人が行き交う札幌駅と大通りのちょうど間にあるコワーキングスペースだ。
壁にびっしりの本と、世界とつながるようなイベントの案内、ふかふかのソファや素敵な照明とコーヒーの香りで構成される広々した空間が素敵で、私も大好きな場所だ。
だけど、「カンテ」の魅力はそれだけじゃない。
「カンテ」とは、ドイツ語で「スキージャンプのジャンプ台の先端の踏み切り台のこと」を言うらしい。スキージャンプの選手は、スタートから100メートルほどの距離で助走を付け、時速およそ90kmの速さでカンテで踏み切り、飛び立っていく。
ここ「カンテ」は、オーナーの長谷川さんを筆頭に、たくさんの人が踏み切り、飛び出していく瞬間の後押しをする場所として愛されてきた。

そして実は10月のアウタビ北海道の会場もここだった。
そして確かに、あの日の交流会でも「アトツギ北海道」の構想が生まれていた。

■アトを継がなかったのりさんと、継いだ伴成さん

今回のホストは、しいたけ農家の次男の横山宜弘さん。そして、ゲストスピーカーは、帯広や札幌で「焼肉にくなり」「麺屋からなり」「麺と酒からなり」を営む佐藤伴成さん。

まずは、ホスト、のりさんの紹介から。
のりさんは、普段は人材系の会社でサラリーマンとして働いている。
実家は、地方でしいたけ農家を経営しているが、お兄さんが家業を手伝っていた。
ところが、3年前にお兄さんの病気が発覚し亡くなってしまったことをきっかけに、アトを継ぐことを考えはじめる。
札幌で家庭を持ち、地方の厳しさもよく知っているのりさんは、親の期待、奥さんへの切り出し方、地方という狭いコミュニティに対する覚悟など、いろんな要素が絡まって、会社員を続けるか、アトを継ぐか、長く葛藤したという。
長い葛藤の末、ようやく昨年10月に両親に「アトを継ぐ」と切り出すも、両親の答えは意外にも、継ぐという選択を拒否されるというものだった。
のりさんの両親は、苦労してきているからこそ、アトを継いだのりさんが苦労する姿を見たくなかったのだろう。

アトを継がないとなると、次はしいたけ農家を売るか、譲るか、辞めるかを考えなくてはならない。だけど、思うように話が進まない。
「自分と同じようにどこに何を聞けばいいのかわからず、困っている人がいるのではないか。」
この想いをきっかけに、「アトツギ」というテーマで悩む人たちが、それぞれの立場や悩みを共有したり、共感できる場を作れたらと思い、10月のアウタビ北海道の交流会でそのことを長谷川さんに話した。
のりさんの話を聞いた長谷川さんは、すぐにアウタビ北海道の松森さんを巻き込んで話を進め、「アウタビ北海道」ならぬ「アトツギ北海道」の構想が生まれた。

ところでこの「アトツギ北海道」は、ただ偉いアトツギの人が講演したりするようなイベントではない。
「アトツギ」というひとつのフィルターを通して、悩みを共有する場でもあり、真面目で基本的にはちょっぴり受け身なのりさんと、それに共感した人たちの想いではじまったのりさん自身の挑戦でもあり、成長物語でもあるのだ。

一方でゲストスピーカーの伴成さんは、後を継いだ側の方。
のりさんとの共通点は、親から「継ぐな」と言われているところだった。
「麺屋からなり」「麺と酒からなり」のほかに、帯広と音更町、札幌で4店舗の焼肉屋さんを経営している。
お父さんの焼肉屋さんを継いだ形だ。
伴成さんは、高校までは帯広で育った。高校卒業後は上京し、大学卒業後に映像制作会社に入社するも、死ぬほど働く上司を見て、ここで働き続けることはできないと感じ、自分で会社を設立するための勉強をはじめる。
すると、そのタイミングで実家の経営が深刻な状況だとおじいさんから連絡が入ったのだという。
地元に戻り、勉強したての知識で実家の経営状況を見てみると、思った以上に深刻な状況だった。そこから伴成さんは、税理士の方にも見たことがないと言われるほどの状況で苦労をしながらも、なんとか整理し、実家の焼肉屋を閉店。そして「焼肉にくなり」としてリニューアルオープンした。

伴成さんは、焼肉屋を継ぎたかったわけでも、社長になりたかったわけでもなく、家族の生活のために死に物狂いで動いた結果、アトを継ぐという選択肢をとった。

■アトツギ曼荼羅トーク

登壇者の自己紹介の後は、参加者も交えたアトツギ曼荼羅トーク。
今回のイベントの参加者は、10人ぐらい。年代も性別もバラバラで、アトツギに関係あったり、なかったり。中には、1年半葛藤していたのりさんを横で見守ってきた、のりさんの会社の上司の方までいらっしゃっていた。のりさん、愛されているなぁ。

いろんな人が集まっているから、アトツギの話もいろんな角度に広がっていく。
例えば、「今の仕事って、親の仕事の影響を受けてる?」という話。
会場にいた先生の方は、両親も先生。自分自身も両親の影響を受けたし、子どもたちは、将来仕事を選択する上で、やっぱり身近な大人の職業に影響を受けるという。
アトツギの立場の人はなおのこと、親が仕事をしている背中を見ている分思い入れも強くなり「アトを継ぐ」という選択肢以外が取りにくいのではないだろうかと思っていた。

ところが、このイベントで話を聞いてみると、のりさんも結局アトを継いでいないし、伴成さんもはじめは他の会社に就職している。
アトツギを取り巻く問題は、アトを継ぐ側の選択肢の少なさではなくて、アトツギ不足にあるみたいだ。
あぁそういえば、このイベントだって、のりさんが、しいたけ農家のアトを継がないと決めた後の動きに困ったところからはじまっている。
ちょっと調べると、後継者不足のニュースが次々と出てくる。

■これからのアトツギ

アトツギ不足の今、のりさんが動いたようにアトツギ不足の問題を解決するためあちこちでイベントが行われたり、コミュニティができたりと、動きが起き始めているようだ。

そして、アトツギは、継いだものを「守っていく」だけではなくなっている。
伴成さんが、学んだ知識を基に実家の焼肉屋の経営方法を改善したように、職場環境を改善して業績を向上させたり、継いだ商品を活かしてもっと良い商品を作ってブームを起こしたりと、引き継いだベースを活用して新たな挑戦をする人が出てきている。
想いや場所など、継いだものを守りながら挑むというのは、攻めの姿勢だけで挑むよりずっと難しいことだと思う。その「守らなくてはならない」というところに、ハードルを感じて、私は「アトツギは大変だ」と思ってしまう。
それでも、あるものを使って、それを超えるものを作り出すことに、ゼロから作り出すのとは違った面白みがあるから、アトツギの人たちは挑戦し続けられるのかもしれない。

子どもの頃見に行ったジャンプ台は、上から見下ろすと、スタート地点は足が竦むような高さだった。テレビ塔と同じぐらいの高さらしい。相当勇気がないとスタート位置に座ることすらできない。
それでも、ここから飛んだ人にしか見えない景色や爽快感、達成感があるんだろうなというのは、なんとなくわかる。
アトツギの挑戦も、のりさんの挑戦もたぶん同じ。
挑戦した人にしか見えない景色、味わえない達成感があるんだろう。

チャレンジする人をやっちゃいなよって応援する空気が少しずつ広がりはじめた北海道で、アトツギという舞台で挑戦する人のように、カンテのような場所からたくさんの人が飛び出して、みんなの生活に前よりちょっと良いこと、面白いこと、大切なことが増えていくのかもしれない。

私にはまだ、スタート地点に座って大ジャンプをする勇気はないけれど、ジャンプする人たちの横で旗を振って応援していこうと思う。こっそり、小さなジャンプに挑戦しながら。

白水 美里


今回の旅するトークはこちら


今後の旅するトークはコチラから 旅するトーク一覧

前の記事前の記事 BACK TO 和えて 次の記事次の記事

アスエ event