AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

19年度編集長
早川 遥菜

ハンバーグが大好きと公言していますが、 「母の作る」ハンバーグが大好きなのです。 気持ちに素直な人であり続けるために、 今日も沢山の物語に出会います。

2018.12.05

遊廓書店・渡辺豪さんの『店長と行く吉原遊廓歩き』

会えて report

■柳の木が語りだす

雨上がりの曇り空に、柳の葉がゆらゆら。
家を出たときは傘をさしていたはずなのに。天気の神様は、どうやら好奇心旺盛な私たちの味方をしてくれているのかもしれません。

「かつてここには、だれもが憧れた吉原があったのです」

今回のホストは、日本で唯一の遊廓専門書店「カストリ書房」を営む渡辺豪さん。

遊廓という歴史は、メディアに取り上げられることも少なく、「性」というジャンルのもとで語られてきたものの中には、誤解や偏見を生み出す表現もあるといいます。

渡辺さんは、そんな吉原の文化にこそ知るべき歴史の奥深さがあることを感じて、これまで独自に調査や研究を重ねたり、講演会などのイベントも多く催してきましたが、実際にはまだまだ受け入れられていないのが現状。

しかし吉原を知ることで、違うモノの見方が生まれることがあるかもしれない。
そんな可能性が、この土地には秘められているのです。

なかなか触れる機会のないものではあるけれど、半世紀前には確かにそこにあった「吉原遊廓」という文化。かつては誰もが憧れる場所だったこの地で、いったいどんな物語があったのかを、今回は一緒に街を巡る機会を通して、体験させていただきます。

■達人と歩けば

そんな街歩きの集合場所は、ある1つの交差点。1本の柳の木以外にはどこの交差点とも変わらない、普通の交差点です。そう、1本の柳の木以外は。

この柳の木、実は吉原遊廓を語るには避けて通れない、大切なもの。
くねくねとした柳の葉は、女性の身体が映し出されるかのように色っぽく、美しい。吉原の門の近くにあったこの木は「見返り柳」と呼ばれ、去るのを惜しむ利用客たちが何度もこのあたりで吉原のほうを振り向く、ということからこの名前が付けられているそうです。

そんな交差点からスタートし、くねくねした道を歩いていきます。普段の私がここを通れば「ただの」散歩道ですが、今日はただ歩くだけなんてもったいない。渡辺さんと歩くと、「なぜこの道はくねくねとしているのか」という素朴な疑問にさえ考えさせられてしまうのです。

道の曲がり具合も、高低差も、角ばった道のつくりも、ここは全てが吉原と深いつながりがある。それはアパートが立ち並び通学路になった今でも、渡辺さんが教えてくれるとあっというまに「吉原遊廓」が心のなかに浮かび上がってくるのです。

■強く、たくましく、哀しく

公園が見えてきました。平日の公園はひっそりとしていて、ハトの群れが何かを囲むように丸まっている姿が見えるくらい。

昔は遊女たちが賑やいだいたこの土地も、今では数件の風俗店たちが夜の来るのを待ち望んでいるかのように佇んでいるだけ。そんな寂しい公園の景色に重なるかのように、渡辺さんが話す遊女たちの話も、耳が痛いほど切ない話ばかりでした。

きらきらした豪華な着物と美しい化粧で着飾って、底の高い下駄を履き、そして男の人に手を取られながら吉原の街を歩く。そんな遊女を観に来る人たちは、男性ばかりではなく女性もいたんだとか。
しかしそんな遊女の多くは、稼いだお金を田舎に住む家族に送ったり、自分がいつかこの土地を出る日を夢見て必死に生きる、そんな悲しい背景がいつも綺麗な身なりの後ろには隠されていたそうです。

一度吉原の地に足を踏み入れてしまうと、例え逃げようとしても行く場所もない。彼女たちの選ぶことができない悲しい人生の着地点として、この土地は成り立っているのでした。

平日の昼間に学ぶ悲しい物語。私は一歩一歩踏みしめるように歩きました。

■もう一つの「街歩き」

「昔とすっかり変わってしまいましたね」
と昔のこの地を知る方が、もう一人。今日の街歩きに参加してくださった男性の方でした。
詳しく話を聞くと、自らが幼い時に家族が店を経営していたという、この地にとても親しみのある方。しかし小さいころに家族の仕事の都合で離れて以来、この街を訪れる機会がなかったといいます。
渡辺さんの街歩きが、気が付くと自分のかつての思い出の地を巡る旅になっていた。そんなそれぞれの思いが溢れ出す街歩き。

■数えきれないほどの物語がここにある

台東病院に到着。今では大きな病院ですが、当時は遊女たちが性病の治療を受けるための専門病院がここにはあったそうです。吉原の土地の中にも色々な役割を持つ人たちがいて、この街が成り立っていた。そんなことを知れるのも、渡辺さんと歩いているからなのです。

そして私が息をのむほど引き込まれた場所が、吉原弁財天でした。もともとひっそりとした街ではありましたが、ここは都内とは思えないほど静かで、異世界に入り込んでしまったかのよう。緑豊かなこの場所の小さな片隅に、気づかれるか気づかれないかほどの小さな遊女のお墓がありました。

「お墓を作ってもらえるということは、それだけ地位が高かったということです」

そうなんだ…。このようにお墓を作ってもらえること自体が、実はすごいことなのだそう。
私が今日教えてもらった遊女たちの話の他にも、きっと数えきれないほどの女性たちの物語が吉原にはあったはず。小さなエピソードだって、ちゃんと一人の大切な「物語」なんだ。

そんな物語をすべて受け継ぐことは難しいということに気が付いた時、むなしさで感情がいっぱいになってしまいました。

■カストリ書房に帰って

街歩きが終わり最後に私たちが到着したのが、渡辺さんの営むお店「カストリ書房」。風情あるのれんをくぐり中に入ると、たくさんの専門書が並んでいました。
女性たちの強くたくましい物語が、言葉の力を用いてまとめられたたくさんの書籍。きっと街歩きをする前とした後では、手に取った本に対する想いの深さが全く違っていた気がします。

渡辺さんによると、最近は女性のお客さんのほうが多いのだそう。これは意外でした。入りにくい分野であると思っていたけれど、渡辺さんの活動はすこしずつ周りの人の考え方を変えているのかもしれません。
そんな渡辺さんのこれからやりたいことは、吉原の街並みを残すこと。課題は多くあっても、受け継がれるべき景観を、歴史を、そして何よりも遊女たちの物語を消さないためにも、忠実に再現しなければいけないと渡辺さんは話します。

「ありがとうございました」
カストリ書房の風情ある扉をガラガラと開け、私は外に出た。
大きな空にかかった雲は、さっきよりも光が入って明るくなっていた。
歴史を知ることで、きっと新たな視点ができて、何かが見えてきたのだろう。
遊女たちの悲しくも優しい物語を忘れないようにしよう。私はそう心に決めて、柳の木が立ち並ぶ道を再び歩き出しました。

渡辺豪さんのストーリー(体験)はこちらから遊廓書店 店長と行く吉原遊廓歩き

 

文:早川遥菜

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