Yet21~21歳のわたしの葛藤~
「Yet21~踊り場のわたしたち~」は、たくさんの21歳体験記を集める読者参加型企画です。
自分の今までを見つめなおし、これからを考える、まさに「人生の踊り場」のような時期である21歳。
その物語をAETEに集めることで、選択や葛藤の渦中にいる誰かの救いになったり、そっと背中を押したりできないかという想いから生まれました。
人の数だけある21歳の物語。まずは編集部の物語から発信していきます。
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「ゆっこはどうしたいの?」
わたしはこの手の質問が苦手である。
簡単なことならすぐ答えられる。
行きたい旅行先とか、食べたいものとか。
でも大事なことであればあるほど、
本音であれば本音であるほど、
わたしの言葉は出てこない。
それはおそらく幼少期から始まっている。
長女だったわたしは、自分の意見を我慢することが多かった。
弟のわがままを横目に見ながら、それを諭すでもなく、
大人しくなるまでじっと待っているタイプの姉だった。
親にそうしろと言われたわけではない。もともとそういう性格なんだと思う。
そういう人間にとって、就職活動は酷なものだった。
履歴書や面接という過程がある限り、どうしても自己アピールをしなければならない。
「わたしはこうしたい」
それを言わなければいけない状況に追い込まれる。
そして、それを言うためには自分がどうしたいのかについて理解している必要がある。
今まで周りの言うことを聞きながら、バランスを取って生きてきたわたし。
あまり自分がどうしたいのかについて真剣に考えたことがなかった。
仕事に関しては尚更だ。
20年生きてきた中で、自分が働くということについて真剣に向き合ったことは無かった。
当時わたしは工学部の建築学科に在籍していた。
周囲の流れに沿えば、建築設計の仕事に進むのが妥当な道である。
でも本当にそれで良いのだろうか?
ラジオだって好きだ。雑誌だって好きだ。旅行だって好きだ。
別に建築学科を卒業したからと言って、建築の道に進まなくても良い。
じゃあわたしは何の仕事がしたいんだろう?何のために仕事をするんだろう?
お金のためでは無いことは確かだった。両親がそういうタイプでは無かったから。
彼らは自分の仕事に誇りを持っていた。わたしもそういう人間になりたかった。
働くことを通してきちんと世の中の役に立ちたかった。
じゃあわたしは何をしたら世の中の役に立てるんだろう?どういうことで世の中の役に立ちたいんだろう?
疑問は毎日堂々巡りだ。考えすぎて蕁麻疹が出た。
それでも仕事をする決定的な意味というものが分からないまま、就職活動は進んでいた。
そんなときだった。友人が亡くなった。心の病だった。
わたしはなるべく側にいてあげたけれど、彼女を救うことは出来なかった。
終わりは呆気ないものだった。ご家族からの一通のメールで知ることになった。
しばらくの間、わたしは放心状態だった。
心配してくれる他の友人の声もあまり心に届かなかった。
もっと彼女のために出来ることはあったのかもしれない。
でもわたしも強くは無いし、彼女を支えるのは限界だった。
わたしは彼女に外に出てほしかった。
彼女が見ている世界が全てでは無い。
もっと外に、彼女が輝ける世界はあったし、
わたしに見えている世界はもっと優しくて、楽しくて、キラキラと輝いていたから。
外に出なよ。自由になりなよ。生きることを諦めないで。
ずっと伝えていたけれど、結局彼女には届かなかった。
こういう状況になって初めて、わたしは自分が生きる意味について考えた。
彼女は生きてくれなかった。でもわたしは生きている。
わたしに出来ることは何なのか。
そのとき目に入ってきたのは、就職している先輩の言葉だった。
「わたしがつくる空間を通して、幸せを与えたい。」
それだと思った。わたしも同じだと思った。
世の中には美しいものがたくさんある。
それを伝えることが出来れば。美しいものに出会いたいと思ってもらえれば。
日常の中でふと美しいものが目に入ってくれば。夢を見せることが出来れば。
それだけで明日ももう少し頑張ろうって、
この先ももう少し生きてみようって、
そう思ってもらえるんじゃないかと思ったからだ。
彼女と同じような人を救いたい。あんなに虚しくて悲しい経験はしたくない。
でも真剣に悩んでいる心と向き合うとか、そういう難しいことでサポートすることは出来ない。
それが出来る精神的な強さはわたしには無いと思ったから。
だけど、わたしが学んできたものを通して、物をつくることや表現することを通して、その一瞬だけでも元気することは出来るかもしれない。
そこから、就職活動において「わたしはこうしたい」が言えるようになった。
言えるようになったからって、わたしの就職活動が理想通りに進んだわけでは無い。
21歳の時から紆余曲折、自分なりに努力した結果、現在(いま)のわたしはそのときに願った仕事をしている。