渋谷で紡ぐ、温かく丁寧さで溢れた物語:渋谷モノコトガタリ
■渋谷大迷路
サンタクロースが通り過ぎたばかりの街は、既に新年を迎える準備をしていた。
毎年思うことだけれど、切り替えがいつもすごいなあと感心してしまう。
渋谷もまた、そんな大慌ての街の一つ。
だけど私はそんな街よりももっともっと大慌てだった。
さて、どうしよう。迷子だ。
気が付けば東京に住んで4年が経っていたが、渋谷に来て一度も迷子にならなかったことは無いと気づき笑ってしまう。見慣れたはずのハチ公も、すっかり人にぶつからなくなったスクランブル交差点も私の中の日常に溶け込んでいると思っていたが、まだその道のりは随分と遠いらしい。
渋谷はこの4年間できっとものすごく変化を遂げている。相変わらず迷路だけれど、示されたルートはきっと少しずつ違っていて、目的地を示すスマホの地図から顔を上げると、ヘルメットをかぶったおじさんが高速道路の下に張り巡らされた歩道橋の端っこで、白い息を吐かせながら立っていた。いつからこの冬空の下私たち歩行者のために看板を示してくれていたのだろう。そんなことを思いながら足早に向かうと、オレンジ色の灯りに灯された温かそうな旅の会場がやっと見えてきた。
■0から1へ
会場の名前は「000cafe」。実はこのカフェは、「東急プラザ渋谷111-ICHIICHIICHI-」の「1」に繋がるまでの物語を繋ぐ場所としても今後利用されていく、「秘密基地」のような場所である。
さて、その「111-ICHIICHIICHI-」という場所は、1ヶ月の期間限定で、日本全国から素晴らしいプロダクト、そしてそこに込められた物語や想いを持った方々が集まる「東急プラザ渋谷」3Fに誕生した、今までにない商業施設の在り方を模索するコンセプトショップのこと。
今日は1月16日までの期間限定で出店している4つのブランドの中から、3つのブランド「MASAAKI TAKAHASHI」「葉山シャツ」「TARA BLANCA」の方々が物語を持って集まってくださった。
※左から「TARA BLANCA」の米良尚子さん、「葉山シャツ」の内野幸太郎さん、「MASAAKI TAKAHASHI」の高橋正明さん
最初に話をしてくれたのは、「MASAAKI TAKAHASHI」を手掛ける、高橋正明さんだ。
■より道しながら
MASAAKI TAKAHASHIは「コスチュームジュエリー」を手掛けるジュエリーブランド。
ジュエリーの知識が皆無だったので後でこっそり調べたところ、このコスチュームジュエリーというのは、服と宝石の調和を保ち、バランスよく品を出すようにこだわって作られているものを指すのだという。
一方、ジュエリー学校などでよく扱われる宝石は「ファインジュエリー」。これは貴金属や天然宝石に限定して作られたものを指す。
高橋さんは、素材に関わらず、伝統的な「よせもの」という稀少技術を通して日本の和を伝えたいという想いのもとジュエリーを作る職人さんなのだ。
そんな高橋さん、実は職人以外にももう一つの顔がある。それは「建築士」であるということだ。
学生の頃からファッションの道に行きたかった高橋さんは、「服」の道に進みたがったが、当時宝石を手掛けていた父の説得もあり、建築士としてデザインの道を広めることになった。
話を聴いていて思ったのは、とにかく息子想いのお父さんだということ。高橋さんもそんな父の想いを分かっているからこそ、お父さんの受け継ぐ「よせもの」という伝統を受け継ぐことにしたのだろう。
高橋さんは自分の物語の中で沢山「寄り道」という言葉を使っていた。建築士になってみたり、海外に行ってみたり、親の仕事を受け継いだり、そして学生時代に行きたかった学校の講師として、今は先生をやってみたり。
それでも軸が自分の中にあれば、寄り道は無駄なことではない。寄り道で生まれた沢山の経験があるからこそ、高橋さんのジュエリーは、より深みのある作品に仕上がるのだと思う。
「今でも父とはよく喧嘩しますよ。パートのおばちゃんに『またやってる』と言われるくらいです」と笑いながら高橋さんは話す。お父さんの仕事を受け継ぎ、高橋さんご自身の名前でブランドを立ち上げてからも、やっぱりお父さんが息子を想う気持ちに変わりはない。
素敵な親子だから生まれた宝石はいつまでもキラキラとしていた。
■一人一人に合ったシャツを作る
次に話をしてくださったのは「葉山シャツ」の内野幸太郎さん。
葉山町には去年の夏に遊びに行ったことがあるから、すぐにあの街ののどかな風景やのんびりした時間を思い出した。あの街に素敵なシャツを作るお店があったなんて。
そんな葉山シャツの原点は、なんと一軒のお蕎麦屋さん。
蕎麦屋は与謝野晶子や小林英雄も通う老舗のお蕎麦屋さんだったが、暖簾を下げ、すっかり寂しくなったこの建物を見つけたのが、葉山シャツの創業者だった。
実は当時建築士をされていたという創業者。「この建物を使って何かできないか」と考えた結果生まれたのが、このブランドだったのだ。
「人の役に立てる一番身近なもの」という軸から、「葉山」でシャツのブランドを立ち上げたという創業者の考えは美しい。小さな街だからこそ上質で一人一人にあったシャツを作り続けることができる。良いシャツを着れば自然とやる気や勇気を貰えて、その人にとって素敵な日常を送る手助けになれる。内野さんは自分の会社のことを話しながら、少しだけ照れくさそうだったのが印象的だった。
内野さんはなぜ数あるシャツのお店のなかでも「葉山シャツ」を職場に選んだのだろう。彼はそんな疑問に対し「お客さんの顔が見える規模だったから」と話してくれた。
シャツを着るという文化が昔よりも薄れているこの時代で、綿100%の上質なシャツを作り続けるには、お客様の声はもちろん、職人さんとの関係も良好でなければならない。程よく双方を結びつけるこの規模感が、葉山シャツの良いところ。
ちなみに「111-ICHIICHIICHI-」では、職人さんの息遣いが聴こえる工夫が施されているという。
どのお店よりもお客様と職人との距離感を考えているからこそ、葉山シャツの白色は常に美しく透き通っているのかもしれない。
■日本とインドの垣根を越えて
最後にお話してくれたのは、「TARA BLANCA」の米良尚子さん。尚子さんのお姉さん夫婦により手掛けられたこのブランドは、インド北部とパキスタンの北東部に広がる「カシミール」という地方で作られた刺繍を使ったストールブランドだ。
姉・プラ泰子さんの旦那さんがカシミール出身というご縁でこのブランドは生まれた。この地方では街ぐるみでターバン作りを行う、伝統に溢れた街なのだとか。
しかし日本にその技術を持ってくるのは簡単なことではない。カシミール地方は現在紛争でなかなか足を運ぶのには難しい状態らしく、そのことを尚子さんから聞いた後、現在出張に出かけているというお姉さん夫婦のことを考えて少し心配になってしまった。大切な家族が行くことを心配に思いながらも、私たちに伝えてくれる尚子さん、また美しい技術を日本のお客様に届けるために悪環境のなか刺繍の伝統を守り続ける職人さんの想いを知って、胸が熱い想いでいっぱいになる。
「誰にも必ず似合う、運命のストールがある。それを見つけることが、私にとってのやりがいです」と尚子さんは話してくださった。
運命のストールに出会うのに、数時間かかる人もいれば、一瞬で出会ってしまうこともあるらしい。だけど美しいストールを身に着けて街に出れば、誰もが自分に自信がついてより華やかな日常を送ることができる。そんなお客さんの笑顔を夢見て、このストールは生まれているのだった。
■丁寧を考えてみる
今日の物語のコンセプトは「職人技の光る丁寧な手仕事」。丁寧にお客さんを想って作られた職人の作品の数々には、必ず温かい物語があって、優しい想いが潜んでいた。
そんな「丁寧」という言葉をみんなで考える時間が、今日のモノコトガタリタイムだ。
集まったゲストたちがちょっとずつ円を作って、一人一人が考える身近な「丁寧」なモノ・コト・ヒトをゲーム形式で相手に伝えるというもの。
私も参加してみたのだが、身の回りにある丁寧な物事を思い浮かべてみてもなかなか思いつかない。丁寧という言葉はそれほど難しいことなのだとしみじみ実感する。
そして一人一人の考える「丁寧」なものの形もばらばらだった。
遠く離れた故郷にいる家族、あの駅員さんがいる駅舎、あの街にある商店街の和菓子屋、お正月に飾るお飾り、あのカフェの店員さん。本当に色々な場所、環境に応じてその丁寧さは潜んでいた。
そして私がみつけたこと。それは、丁寧なあの人やあのモノを考えながら話すゲストたちの「言葉」も、とても丁寧であったということだ。
ゆっくり、慎重に言葉を紡ぎながらその丁寧さを相手に伝えるゲストたち。美しいのは、こんなに温かい丁寧さで溢れた物語が、今この「渋谷」という街の小さなカフェで紡がれているということ。
力に溢れ、常に大慌てな街ではない。丁寧さはこの街だからこそ、発見することができる。
文:早川遥菜
撮影:植田陽樹
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