言葉にしたいほどの景色との出会いがあった:表参道ランタンナイト
■言葉で伝えたい風景
風景を言葉にすると彩度が下がる。目の前に広がる風景をわたしは心で見ている。
それを言葉に変換するのは難しく、あの感じた色の微細な一色一色まで、どんなに言葉を尽くしても言葉にするのことは出来ない。それでもわたしは見える世界を、大切な誰かに見せたいと、伝えたいと思う。出来ないのは分かっているのに。彩度を下げない言葉をわたしはいつもいつも探している。
今日は朝から雨が降っていた。わたしは雨が嫌いだ。ライオンは狩りの途中でも雨が降ると、狩りを中断して木の下で雨宿りをするらしい。どんなにお腹が空いていても、雨に濡れるのを嫌がる。あの百獣の王でさえ、雨には勝てないのだ。
ライオンが雨宿りする姿を思い浮かべて、わたしに似ていると感じた。わたしも雨に濡れると、絶望するからだ。「雨に唄えば」のジーン・ケリーみたいに、傘もささずに歌って踊れたら、きっと楽しいに違いないのに。
表参道ランタンナイトの時間が近づいてもなお、雨は止む気配がなく、ライオンなら木の下、わたしは家の中に籠りたい気分だった。
それでもわたしが外に出ていったのは、見てみたい風景が、言葉にしたい風景があるような気がしたから。
■音が見せてくれる「いい景色」
冷たい雨の表参道。地下鉄から地上に上がると、信号の向こうに東急プラザ表参道原宿の建物が見えた。信号待ちをしながらぼんやりと目の前に移る大きな建物を眺める。森を抱え込んだようなデザインは天空の城ラピュタのようだ、と思った。
そして今回の旅は、その森の部分がおもはらの森、大人の秘密基地で行われる。
おもはらの森には、大人の定義は分からないけど、秘密基地に集まった大人のような人たちがすでに集まっていた。彼らもきっと見てみたい景色があったのだと思う。誰もがみな雨上がりを期待していたように見えた。
人が集まるほどいつしか雨も止み、雨が降った後の床には、夜空が映っている。
会場では、静かに山崎ゆかりさんの音が鳴っていた。その奏でられた音色が、歌声が、雨上がりの夜空に溶けてゆき、曇天のはずの夜空にランタンのような温かな光が灯ったようだった。
ゆかりさんは「いい景色」と歌の合間につぶやいた。
わたしもゆかりさんと同じ、音に集まる人々の顔を見ていた。知らない人たちだったけど、温かな火が灯ったような表情をしていた。夜風で冷えた身体を通って、心が優しい温度になっていくのが見えた。強い風の中で音が揺れて、心地よく柔らかに空間全体にその音が響き渡っていた。
それはゆかりさんの言った本当に「いい景色」だった。
■音と色を丁寧になぞる
地上の表参道の街は、金曜の夜を楽しむ人も多いだろう。でも、地上から離れた秘密基地の夜は、森に包まれて、光と音が降る別世界だ。
誰かがご飯を食べている食器の音。遠くから聞こえる内緒話みたいな話声、雨に濡れた床を歩くひたひたという足音。時折吹く強い風の音。どの音も秘密基地を邪魔しない、心地よく流れる音たちばかりだ。
地上の金曜の夜の音しか体験していないのなら、おもはらの森の秘密基地は、東京という街の真ん中で、ネオンや喧騒を地上に置いて、ランタンの小さくて温かい光の中で、優しくて柔らかい温度の音たちと過ごす、まだ出会ったことのない真新しい体験になるはず。
都会の秘密基地はそんな体験ができる場所。日常の延長線上にあるのに、日常を少しだけ遠くに置いて、見える景色を楽しむことができる。聞こえる音や、見える色彩を丁寧になぞることができる。それは都会に暮らすわたしたちにとって、体験し難い、かけがえのない時間。
■雨の中で響く「はじまりの音」
わたしたちは、きっと大人になったら大人という定義を否応なしに生きるんだと思う。人は仕方なく大人にならないといけない。きっと社会を維持するには必要なのだと理解している。純粋さや素直さは、大人の持ち物ではないらしく、それらでは危う過ぎて社会を維持することはできないようだ。でも本当は誰しも皆、純粋さや素直さは持ち合わせている。それらはわたしたちにとって大切なピースのはず。
私が「秘密基地」を定義づけするならば、純粋さや素直さを袋いっぱいに詰め込んで、自慢し合えるような、どんな夢だって馬鹿にされないような、自由の年間パスポートが手渡されるような場所、とするだろう。
おもはらの森の秘密基地は、そんな要素が含まれていた。冷ややかに眺めることもできる、大人なら。でも、純粋さや素直さは心の奥底の温かな場所にちゃんとある。それを許してくれるのが、大人の秘密基地だった。
雨上がりのランタンの光の中で、わたしははじまりの音を聞いた。これからどこかの街で続いていく、小さくて温かな光が灯る大人の秘密基地があの日、おもはらの森から始まった。
わたしは相変わらず雨は嫌い。でも、雨の中で楽しそうに歌い踊るジーン・ケリーの気持ちが分かった気がする。そこにはわたしが言葉にしたいほどの景色との出会いがあったから。
渡辺紀陽美
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