8月3週目の「みんなのあのね」
現在開催中の企画『みんなのあのね』、8月15日~8月21日の日記をご紹介します。
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■8月15日(日)
私の夏。16歳の夏。暑くて暑くて、理不尽な状況に縛られていたら溶けてしまいそうで。
私から見える世界は背の高いビル、マンション、上を見上げても果てしなく広がる電線、なにかしたくてもなにもできない窮屈な世界。休まるところがない、息が詰まりそう。それと同じようにみんなの夏もせかせかと忙しそうに過ぎてゆく。
そんな生活の中にも休まりの場は必ずあるはず。きっとまだ探し出せてないだけ。たまには息抜きをしないと周りに流されて暑さに負けてあっという間に夏は終わってしまう。
もし世界が歪んだまま元に戻らないのなら、私たちの夏みたいに、全部ぜんぶ、暑さに負けて溶けてしまえばいいのに。
そんなことを考えて電車に揺られながら色々な日常の形を見つけた夏。
■8月16日(月)
夏といえば、コンクールだった。吹奏楽から始まり、大学時代のビックバンドジャズまで。地下にある蒸し暑い部室で朝から晩までトランペットを吹く日々。わたしはトランペットに向いていないのか一向に上手くならなかったけど、仲間と一緒に毎日部室で練習していたのは間違いなく青春だったと思う。何かに必死に打ち込む時間があるということ。外に出れなくても、家の中でも、そういう時間がある人もいると思う。きっとその時間を過ごしていることが青春なんじゃないかな。
■8月17日(火)
総武線のホームの隙間は広い。小さい頃、夏は祖母に手を引かれて、ポケモンスタンプラリーを巡るのが日課だった。「危ないからね。」ひと駅ひと駅、乗降するたびにシワシワの手を握った。
平日の夜の区民プールも広い。小学校低学年の夏、祖父は孫たちを水辺によく連れて行ってくれた。「遠くへは行かないで。」濡れてふやけた自分の手で、シワシワの祖父の手を握って浮かびながら遊んだ。
あれからいくつもの夏を過ごした。プニプニだった自分の手は、少しは “大人の手” に見えるようになってきた、ように感じる。 かつて引いてもらっていた手が、今年の夏は祖父母の背中を支えている。 同じ夏は2度とやってこないけれど、手の温もりはいつだって同じだ。
■8月18日(水)
8月が終わると、何人かの友人が留学のために旅立つ。本当は昨年行く予定だったのだけれど、コロナ禍の影響で1年遅れたのである。何はともあれ彼らが行きたかった場所に行けることは喜ばしい。だけど、今の状況では飛び立つ前に会うことを躊躇してしまうし、彼らが帰国する頃には自分は社会人、これはこれで会いづらい。会うことって頑張らないと意外と難しい、そして「会わない」ことは強力な作用を持つ、それらの事実が不安を呼ぶ。
どんなに濃い時間を過ごしても、立場や環境が変わることで人間の距離は簡単に遠ざかる。友情は人生の選択に大きく関わらない、友情は私たちしか守るものがいない、その儚さを知っている。「本当に出会ったものに別れは来ない」というのは谷川俊太郎の言葉だが、わたしたちは本当に出会ったものだろうか。それを決定づけるのは神様ではなく、私たちの歩み。
■8月19日(木)
「お盆は帰らないよ。」
家族が悲しそうな声が電話越しに聞こえた。それから、ずっとずっと、私の心の中で家族の声が響いている。
帰省を諦めたのが正解なのか、間違いなのかなんて誰にもわからない。でも確かにそこにある静かな恐怖から逃れ、答えのない問題を解くために一人になりたいと足を運んだ場所が「蕪木」だった。
お喋りは禁止だと聞いていたから、小川洋子の小説と持ち歩き用の日記帳をお供に店内へ。お喋りは禁止。カウンター越しから、珈琲豆がじゃらんじゃんと回って、それから氷と珈琲が重なる音だけが空間を作っている。
「お待たせいたしました」
コーヒーの横には、小さなチョコレートが2つ。誇らしげな顔をすることもなく自然に置いてあった。店員さんがコーヒーに合うチョコレートを選んでくれると聞いてお願いしていたのだが、これがとても美味しい。少々ビターなのだが、「苦い」を理解し自分の中で受け入れることで、味方になってくれるようだった。
小川洋子の小説は、存在が消滅するお話だった。コロナ禍で沢山の存在が消滅しかけた今、消滅を許さない、忘れてはいけないという事を思い出させてくれる小説。「物語の記憶は誰にも消せないわ」と言い捨て連行されていく女の人の声もまた、心の中に響く。
色んな声が響いていた。一人の時間を求めて「蕪木」に来たけど、沢山の声がする。でもどの声も私に必要な声だ。決意の声、不安の声、哀しみの声。
不安なままでいい。だけど私は一人ではない。声が聞こえるままに、日々の存在に感謝し、不安を生きなくてはいけない。
答えは見つからなかった。
私は不思議と、自信に満ち溢れていた。
■8月20日(金)
高校生になってはじめての夏休み。ただでさえ短い夏休みはコロナのせいでもっとつまらなくなった。旅行も遊びもロクに行けない。マスクで息苦しい中で勉強も部活も初めてづくしで、分からないことだらけで、必死でもがくけど、上手くできない自分がいやになる。
けど、会えないからと何時間も通話しながら結局ムダ話で時間が過ぎているのも楽しい。課題が終わらないって慌てるのも、課題を写し合うのも、グループのトークは課題の写真で埋め尽くされてる。これが、こんな当たり前のことが大切に感じられるようになった、それが私にとっての高1の夏休みの思い出だと思う。
雨が上がって久しぶりにスッキリ晴れた空を見上げたら、なんだか、なんでもできる気がする。大切な家族と、友達と、仲間と、、好きな人と、同じ青空の下で迎える夏 二度と来ない2021年の夏
この青空の下で青春しよ!
■8月21日(土)
『オールドファッションカップケーキ』という漫画には、自炊好き/料理好きの違いについて2つの定義が語られる。詳しくは忘れたんだけど、自炊好きは大抵の料理はできる調味料(最低限ではないことに留意されたし)が揃っていて、料理好きはそれに加えていつ使うんだ?っていうニッチな調味料も持っているんだって。そしてもう一つの定義が、「人に作ってあげたいかどうか」。どうですか、作ってあげたいですか。私はそうでもないです。
料理に限らずの話になるけれど、わたしはわたしのことを割と信用しているし、ダメなところも許せる。けどそれは自分で完結する物事においての話で、他人が関わってくると話が違う。わたしの料理はわたしが食べる分には満足だけど、人に振る舞えたもんじゃない。わたしの人間性をわたしは愛せるけれど、人に愛してもらえるとは思っていない。だからもう精神的自給自足で生きていけばいいじゃないと思うんだけど、寂しい気持ちもあるからまあ人間ってめんどくさい。今年は料理好きになってみようかしら。
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今週もご参加頂きありがとうございました!同じ2021年の夏を過ごしていても、その感じ方は書き手によって様々。これが交換日記の醍醐味ですね。
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来週もお楽しみに!