『タビマチ』は、
どこかに活動拠点を持ち”旅やまちを彩る”お仕事をされている方々へ
歩んできた物語やまち・ひとへの想いを伺うインタビュー連載です。
彼らの物語や想いに触れ「会いたい!話してみたい!」と思ったら
次はあなたが素敵な人々がいる、あのまち、あの場所へ、旅をしてみて下さい。
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直井さんに初めてお会いしたのは、旧大宮図書館にあるシェア本棚「ハムブック」を訪れたとき。私の地元・さいたまで面白いことをしている人がいると聞き、お話をさせていただきました。そのころ故郷愛のなさに悩んでいた私は、自らの地元を拠点に選べる人たちに嫉妬し、その地を選んだ理由を尋ねて回っていたのです。
そんなとき、直井さんの「最初は『たまたま地元』とか『近かった』とかそんな単純なものでよくて。続けるうちに物語が紡がれていき、あとから理由がついてくるんじゃないかな。」という言葉に触れて。
こんなふうに考える人がいるのか。この人についてもっと知りたい。と感じ、衝動のままに取材を申し込みました。
■葛飾で出会った「メディア」を、さいたまに作りたい。
ーまずは、直井さんの今までの経歴について教えてください。
大学で美術やデザインについて学んだのち、出版社のデザイン部やデザイン事務所で働きました。デザインの職人的な感じに憧れがあり、自分の大好きな本の世界でデザインを極めてみたいと考えたんです。デザインに真剣に取り組む一方で、美術的観点からの「こうすべき」といった観念から離れ自由に創作をしてみたいという思いもあったので、仕事と並行してローカルメディア作りにも関わりました。
ローカルに目を向けるきっかけとなったのは、大学生のときに経験した東日本大震災。まちやふるさとが失われる瞬間を目の当たりにしたときから、自分の目線で自分の地元やその変化を残しておきたいという想いを漠然と抱いたのです。知人の編集者との出会いをきっかけに、ローカルメディアならそれが可能かもしれないという思いに至り、縁のあった葛飾で「ヨコガオ」という雑誌を出版しました。
ローカルメディア作りに取り組む中で、とても記憶に残る出来事がありました。
「ヨコガオ」を通し繋がった人たち 7、80 人を呼んで忘年会のようなことをやったんです。そのときの風景がものすごく良かったんですよね。商店街の偉いおじちゃんから買い物帰りの親子連れまで雑多な人たちが一堂に会していて、はじめまして同士もたくさんいる緩い空間ながら、居合わせた全員がその場のテンションや熱狂感を共有していて。その空間の面白さに触れたとき、これがメディアだと思いました。
―私のイメージするメディアって、マスメディアや Web メディアのような「広く届けるために整理された情報の集まる媒体」みたいな感じなんですが、それとは少し違う感じがします。直井さんにとってのメディアって、なんでしょうか。
自分が面白いと思うものが人に届く瞬間ですかね。
私はメディアを単なる媒介手段よりももっと広義に捉えていて。媒介であるものはすべてメディアだと思うんです。その中でも、優れたメディア(媒介)というのは「ライブの感動がそのまま伝わる」ことだと考えています。
先の打ち上げは、その場のライブ感を失わず、新しいものや人に出会える場でした。だから、感動をそのまま伝えられたこの「場」自体が、よいメディアだなというように感じたんです。
―私の中での「メディア」の印象は、メディアの一側面というか、「媒介のかたち」に過ぎなかったのかなと思いました。
媒介というように捉えると、直井さんのお話が少し理解できた気がします。
現場のライヴ感を消さずに、なるべくそのまま伝えたいと考えたとき、「その場に居合わせることの価値」ってあるなと感じて。感動がそのまま届くこの風景やこの打ち上げを、地元さいたまにも作りたいなと思ったんですよね。
―それが、その後直井さんがさいたまにオープンした本屋「CHICACU」に結びついているのですか。
そうですね。職人的な仕事に憧れてブックデザインの業界に入ったけれど、もっと空間を仕掛ける側に回ってみてもいいかもしれないと思ったんです。
葛飾で見た風景が本屋で起きたらいいなと思っていて。デザインを極めるという夢は、本屋の形をしたまちのメディアを作りたいという夢に変わりました。
■「チカク」が変われば、世界も変わる。
―「CHICACU」には「近く」と「知覚」の 2 つの意味があると伺いました。
日常の中には、他者にとっては価値がないと思えるものでも、自分にとっては世界の一級品にも劣らぬ価値があると思えるものがたくさんあると思います。そんな「近く」の景色を「知覚」できることこそ豊かなことじゃないかと考えていて。
私は知覚をセンサーのように捉えているのですが、そのセンサーを鍛えれば世界の見え方や課題感など、日常の景色が変わっていくと思うんです。そして、そのことが自分を生きやすくしてくれるのだと、自身の経験を通し感じてきました。
だから、知覚が鋭いほうが日常は魅力的になるし、他者の知覚に触れることが世界をより魅力的にしてくれるものだというように考えています。
近くの景色を、知覚を働かせて捉えられる人が増えたらいい、という願いを込めて「チカクが変われば、世界も変わる」をコンセプトにしました。
CHICACU を 2 年ほど続け、少し手狭になってきたなというときに「ハムハウス」の話が来たんです。
―ハムハウスは、旧大宮図書館の建物内にできたシェアプレイス。直井さんはその中で「ハムブック」と称したシェア本棚の館長をやられていますね。ハムハウスに対してはどのような期待があったのですか。
CHICACU は自分が主体となっていて。「住み開き」とも言っているのですが、よその人が自分のテリトリーに入ってくるような関係に近いんですよね。
だから、自分だけが意思決定をするのではない場所に身を置いてみたかったんです。そういうところから人と人のコミュニケーションや対話の本質が見えてくる気がしていて。それを観察してみたい、というのが一番かなという気がします。
ハムハウスでは、頼んでいなくとも企画が出てくるような仕組みにしてあります。だからこそ、自分が予想だにしないようなことが起こるんです。人の数だけ変化が起きるような、どうなるか誰もわからないところに面白さがあるなと思います。
■「残すこと」と、「人のクリエイティビティに目を向けること」。
―これまで直井さんの過去から今につながるまでのお話を伺ってきましたが、選択や行動の基準となるような核となる想いなどはあるのでしょうか。
「100 年後、1000 年後に残るものを作りたい」という気持ちですね。
高校時代に紫式部の源氏物語に触れたとき、これが 1000 年前から残っているって凄いなと純粋に思ったんです。本に関わる以上、残るものを作りたいし、すごいものを残す仕事がしたいなと思います。
―ブックデザインのお仕事や CHICACU、ハムハウスの試みは「残す」ことにどう繋がっていますか?
ブックデザインは単純に、作る行為がそのまま残す行為ですね。
CHICACU やハムハウスはもう少し複雑ですが、産業として下火になりつつある本の行く末を柔軟にとらえるために必要な実験場所。「本のある風景」を残すために、子どものような発想力を試す秘密基地のような場所だと思っています。
もう 1 つぶれないなと思うのは、人が好きということです。
人と関わるというよりは、人を見るのが楽しい。人を観察していると、自分とは全く違う思考を持っていることに気づくんです。そのときの「なんでこういうことをするんだろう」という疑問や、その人の持つクリエイティビティに目を向けることが自分の創作に繋がるのではないかと思っています。
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