AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

2018.11.22

アエテ interview

伝統ある水墨画に現代の息吹を吹き込み、今までの枠にとらわれない作品を生み出し、そしてブランドとのコラボ・ライブパフォーマンスなど幅広い活躍をされている土屋秋恆さん。2017年には水墨画家としてのキャリア25周年の節目を迎えられた土屋さんに、出会いと変化の物語をお聞かせいただきます。

ーいきなりで恐縮なんですが、秋恆さんというお名前からして水墨画の家元にお生まれになったのではと思ってしまうのですが、違うんですよね?

そうなんです。よく誤解されるんですが、実家は一般的なサラ―リマン家庭ですよ。

ー現在42歳で25年のキャリアというと、17歳からスタートされているということですよね。どこかで繋がりがなければ、高校生が水墨画を始めるきっかけって多くないと思うのですが?

縁ということでいえば、祖父は温泉旅館を経営していたんですけどね、里帰りで帰ったときに、そこに飾っていた水墨画を見ていて、美しいなと思ったのが初めての接点ですね。

ー美しいと思われると同時に、習いたいと思われたんですか?

いや、その時はそう感じただけでした。小さいときに見ていた記憶といった感じで。本格的に始めたのは17歳でした。それも知り合いを伝ってたまたま紹介された人が初めて僕に水墨画を教えてくれたんですよ。

ーそうなんですね。水墨画を始める高校生っていうとかなり渋い感じがするのですが、当時はどんな学生だったんですか?

絵は好きでしたね。ただ、他にも色々やっていましたよ。当時はアメカジブームだったので、水墨画も革のパンツとかで習いに行ってましたしね。あとは、このころ音楽も好きでドラムもずっとやっていました。

 ー革のパンツを履いて、ドラムをやっている学生が一方で水墨画も描いてるって面白いですね。そんな中で、どういう過程で水墨画家になっていったんでしょうか?

高校を卒業してからは、オーストラリアに留学に行ったんですね。その時からすでに絵描きになろうという想いはあったんですが もっと世界を見たいとか、外から東洋や日本を考えてみたかったということもありました。その後、留学から戻ってきてから2年で水墨画の師範になれたんですね。

2年で師範ですか? とても速いと感じるのですが。

そうですね。教えていただいていた先生が自由にさせてくれたことが大きいと思います。

ライブペインティング海外

ーじゃ、早い段階から水墨画家として順調な道のりを歩まれてきたんですか?

全くそんなことはないんです。師範といっても生徒もいないですからね。21歳で師範といっても年下から習うのって少し抵抗ある方もいらっしゃるので、師匠のサポート的に教えていたぐらいで。その頃は派遣で仕事をして生活費を稼いでいましたね。

ーそうなんですね。下積み時代という時期ですが、そこをどんな風に越えられてきたのですか?

いや、ずっと越えられなくて僕も色々悩んだんですが、一回退路を断ってみたんですね。出身である兵庫県から東京に出て、バイトや派遣で生活費を稼ぐのを辞めたんです。

ー何のあてもなくですか?

そう。追い込んだら何か生まれるかと思ったんですよね。

ーそれで何か生まれたんですか?

急には生まれなかったんですけどね。笑 けど、若くして水墨画家やっているというと面白がってくれる人たちが幾らか居まして。そんな人たちの支えで、とあるバーでライブパフォーマンスをする機会を頂いたんですね。そこで何回か定期的にやっているとお客さんから水墨画を習いたいって人も出てきたんですよ。

ー面白いですね。水墨画ってライブパフォーマンスも出来るんですね?

水墨画自体、瞬間芸術だと思うんですよね。墨って他の絵と違って、重ね塗りしたり修正したりが出来ないんですよ。そういう意味では、以前ドラムをやっていたことは水墨画を描く上でとても役に立っていますね。

ードラムと水墨画の関係性、面白いですね。色んなことを経験されてきたことが活かされているんですね。じゃ、そのライブパフォーマンスで名を上げていったという感じですか?

そうですね。そこでは色んな人たちとの出会いがあって、特にスタイリストの三田真一との出会いが僕にまた大きな変化をもたらしてくれましたね。Audiとのコラボやファッションとのコラボなんかに派生していって。

ライブペインティング

ーすごいですね。まさに退路を断った効果があったという大きな変化ですね。

確かに退路を断っていた頃に経験した貧しい暮らしからは変わりましたね。ようやく生活できるようになってきた。ただ、そんな時にまた真一にきついこと言われたんですよね。『いつまで同じことやってるの?』って。水墨画の魅力をもっと多くの人に知ってもらうためにも、新しいことやりたいと思っていたはずなんですけどね。その言葉で、気付けたんですよね。自分の感覚が閉じていたってことを。

ー感覚が閉じていたというと?

水墨画って墨の世界なので、世界を白黒で見ていたような感覚だったんですね。今思えば色を否定していたような感覚です。既に水墨画家として10年のキャリアもあったことも関係してたんでしょうね。けどその言葉に触発されて、絵の具やマジックで画の中に色を入れてみたんですね。すると、もう脳が開く感覚で。楽しくて、楽しくて、一心不乱に絵を描き続けましたね。

ー僕は土屋さんの絵はずっとこういう彩りのある作風かと思ったのですが、現在の作風になったのはこのころなんですね?

そうですね。ここで大きく変わったと思います。水墨画の技法と伝統も僕は大事にしていきたいと思っていて、そこを中途半端にしてしまうと亜流になるんですね。ただ、一方でそれが狭い世界へと押しとどめてしまうこともあるので、一旦ここで振り切って、古典と自分とのバランスを取れたことが大きいですね。

 富士

ーでは、長くやられてきたことも技法を習得する上で必要なことで、更にそこを超えていくためのきっかけもあったからこそ今があるということですね。そんな土屋さんにとって、今後どんな風にありたいとかどんなことをやっていきたいということはありますか?

僕は今までビジョンみたいなものを明確に持ったことがないんですね。そこに縛られてしまうので、そういったものを持たずに常にニュートラルな状態にして感性を高かめておきたいんです。なので、感性をより高めていくためのヨガや気功なんかはやってみたいなと思いますね。

ー常に柔軟に、感受性高く自分を整えるという考え方が素敵ですね。今後の新たな作品にも注目しております。本日はありがとうございました。

 

※こちらの記事はAND STORYからの転載です。

https://www.andstory.co/catalysts/7/interview

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