AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

2020.04.05

アエテ interview

近年、ダンス人口が増え、盛り上がりをみせている日本のダンスシーン。
数え切れないくらい沢山のダンスジャンルがある中で、まだあまり日本で知られていない、
“エレクトロダンス”というものがあります。
その魅力を日本中に広めようと挑んでいる日本人ダンサーCHIHOさん。
本場フランスで修行をし、アジア人初のワールドチャンピオンにも輝いた彼女に、
これまでの人生や、エレクトロダンスにかける熱い想いを伺いました。

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―本日はよろしくおねがいたします。早速ですが、CHIHOさんはいつ頃からダンスを始めたのでしょうか。

中学生の頃です。私立の中高一貫校に進学することになり、どの部活に入ろうか悩んでいたとき、
ダンス部の女の子たちがキラキラと輝いている姿を見て、憧れ、入部したことがきっかけでした。

―中高一貫校ということは、中学校入学から高校卒業までの6年間、ずっとダンス部で活動されていたのですか?

そうです。入部してからはもっと上手になりたいと思うようになり、中学2年生からはダンススクールにも通い始めました。高校3年生の引退まで両立し続け、ダンス部内のエースとして活躍しました。

―すごいですね。エースということは、部長なども務めていたのですか?

いえ。役職にはついていなかったです。
当時、人と同じように見られることが嫌いで、人と群れたがらない性格でした。
部活でも、周りを気遣うよりも自分のスキルを磨くことに力を入れていたので、
人をまとめる役は向いていなかったのだと思います。

―そうだったんですね。このあと、高校を卒業してダンサーの道を歩みはじめるわけですが、CHIHOさんは、どんなダンサーを目指していたのですか?

“人に衝撃を与えられるダンサーになりたい”と思っていました。YOUTUBEでヨーロッパのダンスの大会を見たときに、フランスのダンサーに衝撃を受けて、憧れを持つようになりました。
高校卒業後はダンスの専門学校に進んだのですが、物足りなさを感じて辞めてしまい、
フランスに一人で飛び込みました。そして、1ヶ月間、現地のダンスバトルやイベントに参加しながら旅をしました。

―いきなり飛び込んでいくことに加えて、現地のバトルにまで参加してしまうなんてすごい行動力ですね。

でもそこで、憧れのダンサーのパフォーマンスを実際に見て自分の力のなさを感じ、1度挫折したんです。

―その挫折をどう乗り越えたのですか?

憧れていたダンサーが、POPというジャンルとHIPHOPを掛け合わせたようなダンスをしていたのを見て、当時POPダンスで世界的レベルを誇っていた大阪に行き4年間修行をしました。そこでの出会いが私を変えてくれたんです。

―どのような出会いですか?

大阪でHIPHOPユニットを組んでいるのですが、その相方“みほちゃん”との出会いが、
ダンスだけでなく、人としても私を成長させてくれました。
大阪に一人で飛び込んでいったので、最初は知り合いもおらず、とても心細く感じていました。
しかし、みほちゃんが大阪のダンサーのコミュニティに私を入れてくれて、色んな人と知り合ったことを通して、
人との繋がりやコミュニティってとても大切なんだなということを学びました。
これまで人と関わることが好きではなかった私にとって、それは大きな成長でした。
この経験を経て、またフランスへ飛び込む決心ができたんです。

―なるほど。その後、フランスでエレクトロダンスと出会うことになるのですね。

はい。滞在を始めて2ヶ月くらい経った頃、ファッションのイベントを見に行ったときに、
そのイベント内でエレクトロダンスのダンスバトルが行われているのを初めて見て、エレクトロダンスを知りました。

―ファッションとエレクトロダンスの関係性は深いのでしょうか?

そうですね。エレクトロダンスはアパレルのアフターパーティーから生まれているので関係は深いと思います。実際にヨーロッパのエレクトロダンサーが、イブサンローランのインスタグラムに出ていたり、他有名ブランドのモデルを務めていたりもします。

−活躍の幅が広いですね。そのバトルを見て一目惚れをして、始められたということですね。

はい。エレクトロダンスを練習して踊っている自分の映像を見たときに、「一番自分にとってこれが合ってる!」と思ったんです。あと、エレクトロダンスで使われているテンポの速い曲が、ゆっくりなテンポの曲で踊っていた自分にとってとても新鮮で、ハマってしまいました。

―その後、世界チャンピオンになるまではどのような歩みだったのですか?

4月にエレクトロダンスと出会ってから練習を重ね、11月から大会に出始めました。まず、フランスの世界大会に出場してビギナー部門で優勝、Eクイーン(エレクトロクイーン)の部門で2位。その後、ロシアの大会ではビギナー部門とEクイーン部門の両方で優勝。翌年、再びフランスの大会に出場し、Eクイーン部門でも優勝し、世界チャンピオンになりました。

―大躍進ですね。

今振り返ると、本当にあっという間の出来事だったかもしれません。
そして、ロシアの大会で優勝をしたことをきっかけに「日本でも広めたい!」と思うようになりました。

―それはなぜですか?

フランスのエレクトロダンスのコミュニティにとても感謝していて、同じようなものを日本でも生み出したいと思ったからです。日本人一人で飛び込んでいって、アジア人が優勝したことのない大会でチャンピオンになれたのは、みんなが応援してくれたからだと思っています。

―なるほど。大阪でもフランスでも、飛び込んで行った先で出会った人々やコミュニティに助けられたという思いが強かったのですね。

そうですね。みんなに感謝しています。

―では、最後の質問です。ちほさんはこれからの5年、10年どんな未来を描いていますか?

フランスと日本を行ったり来たりしながら活動をしたいと思っています。
フランスでスキルを磨きつつ、日本でエレクトロダンスを広めて、コミュニティを作って、自分が色んな人を支える立場になりたいです。また、フランスと日本の架け橋になって、フランスのダンサーが日本に来てパフォーマンスできるような機会を作れたらいいなと思っています。

―CHIHOさんを中心に、国境をも超える新たなコミュニティが生まれるかもしれないですね。また、エレクトロダンスが広がっていけば、フランスのようにファッションモデルとして活躍するダンサーが出てきたり、その他にも可能性はたくさんありそうですね。

そうですね。そのためにも、ダンスのシーン以外でもいろんな方と出会いながら、可能性を広げていきたいです。

―これからの活躍、楽しみにしています。本日はありがとうございました。

ありがとうございました。

 

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この取材の後、CHIHOさんのレッスンにお邪魔してきました!

初心者の私でも、とっても楽しませていただいたレッスンでした。
速いテンポの中一つ一つの形を意識しながら踊るのは大変でしたが、少しずつ慣れてくると1曲踊りきるだけで爽快感を味わうことができました。後半は、基本の振り付けにオリジナルの動きをつけていったのですが、一人一人個性が際立って、踊るのも見るのもとても楽しかったです。
初めましての他のレッスン参加者の方ともCHIHOさんを中心に色んなお話しをしました。またこの人たちと踊りたいな。と思いながら名残惜しくお別れ。もうそこにはCHIHOさんがこれから育もうとしているコミュニティが生まれているように感じました。

文:鹿子木千尋
トップ写真:Livio Morabito
動画:植田陽樹

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