AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

2018.09.25

アエテ interview

でもインタビューのコーナーって言うのはあまり人気がありませんでした。小学生はクイズとか学年で誰がかっこいいかランキングとかの方が気になるものですよね。(笑)あとは一日中迷路を書いているクラスの面白い人にすごい難問の迷路を書いてもらって、それを載せたりもしました。迷路の思い出といえば、小学校5年生くらいの時に「迷路をするための空き教室を提供してほしい」って頼んで、許可が下りた教室に中休みとか昼休みとかに新聞がかりが集まるんですけど、マンガを読んだりとか情報収集だよねーって遊んでたりしてました。(笑)

―通ってた学校って普通の小学校ですか?(笑)

普通の小学校ですよ。でも新聞の価値が学校的にも大きくなってきて、夏には増刊号を出したりしたんですけど、だんだん内容も幅が広くなってきたことで先生に呼び出されたりもしました。今思えばちょっと極端な事も書いたりしてたのかもしれないんですが、とにかく日常にあることを楽しくしようとしてましたね。

6年生になった時は、空き教室の真ん前でコンサートをしようと企てたり、それから冬の雪上サッカー大会もしましたね。青森の出身なので、雪でボールなんて見えないんですよ。ボールも敵も味方もわかんない(笑)。とにかく騒がしかったです。でも当時は録音めいたことはラジオ番組作りくらいしかしていなくて、当時は「なんか自分の声じゃないみたいね!」ってところに感動を覚える程度だったんですけど、

中学生になった時に、「あっやっぱりあの時間って一回きりだったんだなあ」ってだんだん感じるようになってきました。

―子どもの時から、山崎さんが色んなことに挑戦や行動されてきていることが分かったのですが、それはバンド結成の時にも色んな試行錯誤があったのでしょうか?

専門に通っていた時に、先生に学校をやめるように言われたときがありました。その時に先生に「バンドを始めたらよいよ」っていう言葉をいただいたので、下北沢に週六くらいで通うようになりました。下北沢ではたくさんの人に出会いましたね。もしわたしがバンドを始めるのならば、これはぜひ取り入れたい、っていうこととか、これは守らなくてもいいかな、なんていうのも何となく感じました。ちょうどそのときに「バンドを作るというのはどういうことなんだ」っていうことを一緒に考えてみたんです。

たくさんのバンドを見て、唯一どこでもやってなかったのは、人の姿をみせずに音楽「だけ」を聴かせるやり方。もしその音楽が良いものだったら、絶対に歌っている人が気になってしまうだろうし、とにかくビジュアルから入ってしまうので、音楽だけを走らせるって実は結構難しい。そもそもライブじゃないやり方でないと音楽だけを聴かせられないと気付きました。じゃあこれは録音してしまえ、ということで、お店に置きにいった。何もレールがない所を、もしかしたらこっちに道があるかもしれないっていう風に手探りでやってみたりもしました。

―空気公団さんの曲からは行動や挑戦などというテーマをあまり感じない、どちらかといえばゆっくりとした時の流れを感じるのですが、意図的に感じさせないようにされているのでしょうか?

そうですね。会えばわかるというか。私的に表から励ましてるとかもないし、みんなで肩組んで騒ぐ、みたいな感じでもないから、どちらかといえば「あなたのそういうところが魅力的よね」という感じ。その人の知らなかったこと、気づかなかったすごく小さい変化とか、ず――っと心の中にたまっているもの、そういうものを知れるような何かを表現したいなって思っているので。

あとは歌いながらも、自分がナレーションでありたい。あそこにいる彼女と彼が何を言い合っているのとか、喫茶店でお茶を飲んでいる彼がなぜ物思いに耽っているのだろうかはわかんないけれど、それを俯瞰的でみる役になって曲を作るようにはしています。

―現在・過去とお伺いをしてきましたが、「未来」という時間に対してはどんな風にお考えでしょうか?

実は私、ものすごく計画するのが好きなので、例えば2020年までにこれするぞっていうのを考えて、ここまでにこれをリリースしたい。あれをやりたいっていうのが次から次へと出てくるんです。

―すごいですね。作りたいっていうのは、それは曲ベースから始まるのか、それとも「こういう思いを形にしたい」から入るのか、自分なりにルールなどはあるのでしょうか?

今のところ曲ベースではないんですけど、一度しっかりとしたルールを決めてしまうと、ある時違う道が出来てしまったときに自分の首を絞めてしまうことになるような気がするので、決めていません。例えば絵本でいうとおしまいを決めないということです。ただそれを人生に置き換えてみると、無限大過ぎて迷いますよね。だけど、ある程度こんな感じでリリースしたいって考えていくとやっぱりそこを目指していくことができるので、ちょっとここから出てはいけないよっていう見えない何かを建てる感じなんですよね。そうしてそれで私は追い込まれるわけではないんですけど、そうすることで逆に楽に楽しめるというか、本当にやりたいことがやれて楽しめるんじゃないのかなって思いますね。

―山崎さんはこれまでの人生で、自信を無くされたり、やってみたいけれど自分なんかじゃできないんじゃないか、と思われたことはありますか?

「私にはできない」っていう感覚がよくわからない。昔親に、「あなたは何でもできるんだよ」って言われたときに、人っていろんな可能性を秘めているんだなって感じた事がありました。でもそれを開花させられるのかは、実は自分次第だと思っています。出来ないって自分自身で決めつけているから、そういう決めつけをほどいてあげる何かいいキーワードがみつかるといいですよね、それが空気公団の中にあるって感じてほしいかも。

例えば私も昔は「財布」がないと、買い物に行けないって思ってたんですけど、いけるんだって思いましたもん(笑)。空気公団の『旅をしませんか』という曲に「ぼくには何もないよ、だからどこへでも行けるのさ」っていう歌詞があるんですけど、それまでは何かないとどこにもいけないと思ってたので、自分で歌いながら聴いて「うわっ」って思っちゃったんですよ。パスポートがないといけない、とかその日空いてないからいけない、という決めつけは本当にもったいないなって。

何もないからどこにでも行けるのならば、例えば仕事があったらその仕事をできるだけ早めに終わらせて、何もない時を作って出掛けるとか、知らない街に行くというのも、知らない道を通る、それだけで全然違うと思うんですよね。「サンフランシスコはちょっと遠いわ」っていきなりレベルの高い所からスタートしなくても良いと思うんです。いつもここで曲がるんだけど、ちょっと今日は違う道を通るとか、入る機会のなかったお店にあえて入ってみるとか、あの人いつも気になるんだよなって人に声をかけてみるとか。失礼にならない程度に、何かちょっと捻るだけで、世界がばっと変わるような気がします。

―最後に街についてお伺いさせてください。青森ご出身ということで、幼少期に過ごされた田舎での生活と、東京に上京してきてからとでは、暮らしている町の雰囲気が変わったと思いますが、山崎さんが暮らしている街が変わったことでなにか心情に変化はありましたか?

田舎の良さが分かったとは思います。でも東京は単純に私の「憧れ」で、憧れをばっと除いたら実は東京も青森と同じでした。東京の中にも田舎と変わらないくらいの小さい花とか咲いてますもんね。人も同じ。東京の人が冷たい、だとかは感じた事がないです。

何でここに、この虫がいるんだろう、とかそれは全然変わらないと思います。

―ちなみに、山崎さんの好きな街はどこでしょうか?

1番好きな街は「空気公団」です。

―最高にカッコいいお答えです。

2018年12月16日まで今回のライブツアーが続いていますので、ぜひどこかの街で皆様に空気公団という街を感じてほしいと思います。

今日は本当にありがとうございました。

空気公団オフィシャルサイト

http://www.kukikodan.com/

撮影協力:CAFE SEE MORE GLASS

写真:土田凌

文:早川遥菜

こちらの記事は、AND STORYからの転載です。

BACK TO 敢えて 次の記事次の記事

アスエ event