AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

2023.04.15

アエテ interview

私と同じシェアハウスで暮らしている24歳のmomoさん。今年の2月、会社を辞める選択をしました。そして21歳の私は、大学を休学する選択をしました。人生における大きな決断をしたという共通点から、分かり合える部分や、何か見出せるものや通じるものがあるのではないかと感じ、インタビューをさせていただきました。

■21歳の自分と分岐点

21歳はどんな年でしたか。

21歳は、怒涛の日々でした。大学3年から4年にかけての1年間。その前の年は、スコットランドのエディンバラに留学をしていました。毎日夢の中にいるような生活でした。贅沢な生活をしていたからではなく、着いた瞬間から運命だと思えるくらい街が好きで、魔法がかかったような留学生活だったからです。今でも連絡を取る親友のような存在に出会えたり、好きな学問に出会えて、勉強も楽しい1年間でした。帰国後、文学をやりたいと思い、文学系のゼミに入って勉強しました。やる気も出ていて、卒論のテーマもはっきりしていました。

でも就活が始まると、働くことに興味がもてませんでした。それよりは「早く就活を終わらせたい」という気持ちが強かったです。就活のタイミングでコロナが始まり、努力の仕方が分からず、気が抜けてしまいました。両親ともに教育関係の仕事をしていたため、自分も教育の道に進むだろうと思っていました。最終的に教材を作る会社から内定をいただきましたが、今振り返ると、自分の気持ちより人の影響を受けて決めた結果だったと思います。教育関係に行きたいとは思ってはいたけれど、努力ができておらず「決まったところにいけたらいいよね」という安心感の中にいたかったという印象があります。

当時は実家を出ておらず、96歳の祖母と家族と暮らしていました。病院に連れて行ったり、散歩をしたり、ご飯を作ったりなど、祖母を1人にはできないという状況があり、オフィスの近さやテレワークができることなど家族環境や家族への思いも含めて就職先を選択していました。
でも本当は留学をしていた経験から「国際的な道に行く」という選択肢もあったはずなんです。
今思うと、就活に妥協していたのかもしれません。

付き合っていたパートナーに就職先を伝えると、一言目がお疲れさまでもおめでとうでもなく、「そこでいいの?もったいないね。」でした。そこから少しだけ迷いが生まれました。自分には相応だと思っていたけれど、もう少し頑張れたのかもしれない。迷いを持ったまま社会人1年目をスタートして、入社式の前にいくつかの転職アプリを入れていました。パートナーに言われたからというよりも、自分の本心にその気持ちがあったからだと思います。

また、「英語はネイティブレベルで話せなければ仕事には使えない」という思い込みもありました。日本人同士で英語を話す際、どこか小競り合いのような空気を感じており、十分仕事に使えたはずの英語力を「ビジネスとしては使えない」と思い込んで、自分の能力を卑下していました。

そこから1年間働き、会社を辞めるという決断に至るまで、きっかけや分岐点はありましたか?

分岐点は、親元から離れたことでした。家族と物理的な距離が生まれたからこそ、自分の直感に従って会社を辞めるという選択ができ、誰かに頼ったり、人のせいにしてしまうことがなくなりました。離れたことで、家族と会うことや連絡を取ることを、以前よりも大切にできるようになりました。会社を辞めたことは事後報告しました。事前に伝えると、親のために違う選択肢を選んでしまいそうだったからです。

また、シェアハウスに住んだことも大きかったです。一気に世界が広がりました。「人は5つ以上のコミュニティに属すると上手くいく」と言われていますが、自立とは依存先の多さだということを実感しました。

会社を辞めることに迷いはありませんでしたか?

全くなかったです。会社を豊かにしたいという思いを持ちながら目の前の仕事を頑張っていたけれど、心はとっくにそこに属することを辞めていた、あるいは始めていなかったからだと思います。辞めるに当たって1番ピンとくる瞬間が来ることを確信していて、その瞬間がきたので迷わずに辞めました。ただ、今後の幸せを作るのは自分自身。この選択をより良いものにしていけるかどうかはこれからの自分の思考や行動次第だと考えています。

■今を生きるということ

私は昔から、未来になりたい自分から逆算して今やるべきことをすることが多いのですが、それは「今頑張っていつかを楽しむ」の繰り返しで、今を十分に楽しめていないのではないかと不安になります。だから「今を生きよう」という言葉が気になります。
momoさんにとって「今を生きる」とはどういうことでしょうか?

今を生きることは、存在しているだけでできていると思います。確かに、やらなければならないことがやりたいことを上回っている感覚があるかもしれない。先のために今を犠牲にしている感覚があるのなら、それは自分の中でのバランスが崩れているとき。けれど、もしバランスを保てているのであれば、目の前のことに懸命に取り組んでいるということ。立派に今を生きているということだと思います。私は未来を考えていたらワクワクします。未来はいい原動力だと思うし、未来を今にするという感覚の方が近い。未来を未来として考えるのではなく、未来を今として考えて精一杯生きるということが、今を生きると同義なのではないかと思います。

momoさんにとっての「大人」とはどんなイメージでしょうか?

1人をフルに楽しんでいる人です。私は昔から1人が好きだけれど、大人はそれをすごく肯定してくれる概念だと思っています。私は、大学時代のゼミの教授と石田ゆりこさんという俳優に憧れています。どちらも結婚はしておらず、一人暮らしや動物との暮らしを楽しまれているように思います。私自身も、1人でいる分、世界との接続が多いような感覚があります。

私の思う大人は、子どもの時と変わらず1人を楽しんでいるというイメージ。余裕が増えていて、経済的にゆとりができて、楽しみ方にゆとりができている。そんな状態に、無条件に憧れを抱いていてしまいます。そして、焦っていない。上に登っていくというよりは、今あるコーヒーの味を楽しむ、とか。それをやっている人が多いと感じるのが40代や50代です。だから自分の中での大人は、40代や50代。その年齢になるのが楽しみだし、そういう人たちをロールモデルにしています。

周りは大人になりたくないと考える人が多い印象があります。大人は夢をあきらめているというイメージがあるからなのかもしれない。でも私は昔から大人に憧れがあるし、40代や50代はとても豊かで美しい年齢だなと感じます。

ーご自身の年齢である「24歳」にはどんなイメージを抱いていますか?

私にとって、23歳は学生の延長というイメージ。24歳は大人への第1歩のステージで、でもまだふざけていい年齢だというイメージがあります。

面白いですね。分かるような気がします。大学卒業は22歳なのに、なぜ23歳も学生の延長だと思われるのでしょうか。

途中まで実家に住んでいたからかもしれません。23歳はちょっとダサさがあるけれど、24歳はちょっと素敵。13歳と14歳だと14歳の方が大人に感じるのと同じで、4が入っていたらカッコ良く感じるのかもしれません。25歳は少し今の自分には堅く聞こえる。24歳の柔らかさはちょうどいいなと思う。大人っぽい余裕も感じられるし気に入っています。もし今25歳だったとしたら、会社を辞めて大学院に向けてアルバイトをするという今と同じ選択はしないかもしれません。

年齢に対するイメージで選択をする、ということもあるのですね。

理屈はないけれど、あります。これをしたいというdoingよりも、こうありたいというbeingの方の理想によるものが多い気がします。

歳をとることは良くない、という傾向は少なからずありますよね。

日本はそれが強いと感じます。それはあまりクールでないと思います。年を重ねている人が恋愛を楽しんでいたり、ファッションを楽しんでいたりする海外に行きたいと思うこともあります。

子どもや若者が元気なのは当たり前なんです。でも私が元気だと思う社会は、年配の方が元気な社会。子どもや若者に投資をしようという考え方がよくあるけれど、それは当たり前。以前訪れた北京や直島は、その当たり前がある上で、年配の方も楽しんでいる社会でした。大人になってもこんなに楽しいよということを背中で見せてくれる社会だと感じました。

教育の会社で働いて感じたことは、子どもは大人が言うことを真似するということ。やっぱり、日々の生活が1番の教育であり、社会を作っていくのだと思います。教材だけではなく日々の生活が社会を作っていくのだと強く感じました。長く生きたらこんなに楽しいんだと思える社会、年を重ねることへの期待感を上げていく社会を作っていきたいです。

21歳の頃の自分に伝えたいことはなんですか?

「自分のために生きていいよ。今のあなたはそれをすぐに飲み込めないかもしれないけれど、それもそれでいい。」と伝えたいです。人から見ても分からない大変さを抱えている時期でもあります。その大変さを人に伝えても伝えなくてもいいけれど、全部がいい方向につながっているから、流れに乗っていれば大丈夫。何があっても大丈夫、と言ってあげたいです。

今振り返るとよく頑張ったなと思います。21歳の自分がした選択は結果的には良かったと思っています。就活、家族との距離感、パートナーとの関係性から、自分が大事にしているものや自分がどういう状態になれば上手くいくのかが、その反対の体験をしたことによってくっきりしました。過去の自分の選択に妥協してしまっている感覚があるのは、単に努力不足ではなく、もっと奥深い自己効力感によるものだと思います。

今の21歳の人たちに伝えたいことはありますか?

若いって基本的に辛いことだと思います。若いっていいねと言われるけど、辛いと思います。その辛さに向き合いつつ、見つめつつ、そこだけじゃなくて他のものも見落とさないように、自分を大事にしてあげてほしいです。

若いことは辛い、とはどういうことでしょうか。

生きるだけで迷ってしまう。日々を過ごす中での迷いがあるからです。「何かあった時だけではなく、何もない時でも辛い」ということが若い時の方が多いと思うのです。私は生きる目的や、今思うとはなんでそんなことを考えるのか、と思うようなことも考えていました。人から見たら普通に見えても自分の中では納得できないものが多い。でもそうやって迷うことで豊かな人間になっていくのだと思います。悩む辛さは抱きしめてあげつつもそこに溺れず、自分を大事にするってなんだっけ、とふと立ち止まって考えてみると、良いバランスがとれてくるはずです。

セルフジャッジをしすぎなくていいよ、ということも伝えたいです。自分の頭の中で自分の行動に制限をかけてしまうことが良くあると思います。私は21歳の頃、人のアドバイスを聞く前にセルフジャッジしてしまうことばかりでした。何かをやりたいと思っても、やっぱりできないかもしれない。それを選択したらこんなリスクがあるのではないかと、できない理由を探してジャッジしていました。それはすごく疲れることです。だから考えすぎずにアクションしてみる。思い切ってアクションをしてみれば、楽になります。格段に泳ぎやすくなる。アクションすることは一見大変そうだけど、やってみたら案外楽かもしれません。

また、とにかく自分を大切にしてほしいです。それが旅をすることであったり、美容院で高いトリートメントをすることであったり、コーヒーを飲む時間を作ることであったり、どんな小さなことでもいいから、自分を大切にする。そうするとちょっとだけ悩みに対する姿勢が良くなり、目の前のことが楽しくなったり、人生に前向きになるかもしれません。望むような結果にならなかったとしても、今日はこれをして過ごしたということで自分の暮らしや人生に納得できるようになるかもしれません。


「辛さを見つめつつ、辛さを抱きしめてあげてほしい」というmomoさんの言葉がとても心に響きました。
21歳の私は、この春、休学という決断をしました。そのような中で、このままで良いのかという、これからの人生に対する不安がありました。この不安はこの先もなくならないような気がしています。でも、今回momoさんにお話を伺い、不安を無くそうとするのではなく、未来に対する不安も、早く答えを見つけたいと焦る気持ちも、そんな自分の弱さも辛さもぎゅっと抱きしめていこう、この選択は間違いではなく、どんな自分も愛しいのだと、少しだけ前向きに思えるようになりました。
日々将来を思い悩むことばかりだけれど、それでいい。どんな自分でも全てを真正面から受け止めよう。
momoさんのインタビューを通して、そんな温かいメッセージを受け取りました。

山下莉奈

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