AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

2021.01.14

究極の手仕事を大切にしながら、日常的に使える小田原漆器をつくる

アエテ interview

『タビマチ』は、
どこかに活動拠点を持ち”旅やまちを彩る”お仕事をされている方々へ
歩んできた物語やまち・ひとへの想いを伺うインタビュー連載です。
彼らの物語や想いに触れ「会いたい!話してみたい!」と思ったら
次はあなたが素敵な人々がいる、あのまち、あの場所へ、旅をしてみて下さい。

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前回取材のアリスラパンさんからご紹介いただき、今回は小田原漆器工房もくのすけの鈴木さんを取材しました。小田原漆器づくりを目指した理由、製作へのこだわり、また地元の人々と一緒に作り上げていくことについて聞いてみました。

 

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私の住む最寄り駅から小田原駅までは鈍行列車で2時間以上かかる。ロマンスカーを使えば早く着くだろうけど、あえて鈍行で行ってみる。長い時間小田急線に乗り小田原駅で降りると、大きな提灯が出迎えてくれた。遠い場所に来たという感覚を思い出してドキドキする。取材前、昔から小田原に住んでいる友人と会った。私から見ると彼も「小田原人」だ。「小田原人」とは私が作った造語だが、小田原特有の暑すぎず、寒すぎずの気候の中で生活し小田原の人や物をこよなく愛する人のことを、いい意味でそう呼ぶことにした。ちなみに、その特有の気候を私流に表現すると「半身浴45分間」だ。小田原には、この小田原人が本当に多そうだ。そんなことを思いながら、本数の少ない電車に乗り、小田原漆器の工房「もくのすけ」へ向かった。

 

▪小田原漆器を知り、携わるようになった現在まで

 

今回はお引き受けいただきありがとうございます。どのような経緯で京都の伝統工芸専門学校に行こうと思ったのですか?

実は、専門学校に行く前は不動産系の仕事をしていたのです。当時からホームセンターで木を買って、本棚とかを作って会社の机に置いたりしましたね。でもやはり会社が忙しくて、四六時中仕事のことを考える日々。そんなときに一生仕事を続けるなら本当に四六時中考えても苦にならない、好きなことを仕事にしたいと思ったんです。思い切って辞めた後に京都伝統工芸専門学校という、伝統工芸を専門的に学べる学校に行きました。昔から神社・仏閣といった日本の伝統文化が好きで、地元は兵庫なのですが中学生くらいには1人で京都に行っていました。物心ついたときには伝統工芸がなんとなく好きだったんですよね。

 

生まれて育つ過程にルーツがあるというか。今の鈴木さんには、自分の生まれ故郷である兵庫や京都の専門学校時代の経験が生きているのですか?

―京都の専門学校に入ってはじめて、細かいこだわりやルールを学んだのですがそれが今でも生きていますね。例えば、京都の指し物。抽斗や箱物といった、差し込んで作る家具のことですが、京都だと木目を左から右にするルールが決まっています。素材を活かす、美しさや道具に対するこだわりというのは最初に京都で学びました。

 

小田原漆器を知って、 さらに木工ろくろ技術を学ぼうと思ったのはなぜですか?

―専門学校時代にとあるチラシを拝見したことがきっかけで小田原漆器を知り、木工ろくろを学ぼうと思いました。専門学校に入学したのは社会人を経験した後の29歳のとき。2年間頑張れば木工の仕事ができると思っていました。でも全然採用してもらえませんでした。それにお話を聞いてくれる方がいたとしても工房で大きな機械を使っていて、手仕事にこだわっていた私にはピンとこなかったんです。そんな時に、数年前に卒業した先輩の寄木職人の方が「小田原の漆器組合に後継者がいないので研修生を2人募集する」という案内を学校に持ってきてくれたんです。 興味は持ったのですが、木工ろくろの技術を知らなかったので知り合いを頼り兵庫県内にある挽物工房へ見学に行きました。すると木を削るための道具から自分で作っていて、究極の手仕事だと感じました。求めていたものはこれだ!と思って、小田原の漆器組合後継者の募集に応募。それで選んでいただき、小田原に来ました。

 

 

小田原に来てから、どのように今に至るのでしょうか。

―まず2年半の研修を経験しました。道具の作り方を学び、その後はひたすら削っていました。研修を終えた後も自営業をするつもりはなく、どこかの工房で雇ってもらいたいと思っていました。でも小田原には人を雇うほどの規模の工房がほとんどなかったんです。そこでお世話になった工房に週2.3日雇ってもらい、それ以外の時間も工房を使わせてもらって自分の品物を作ったり他の人から頂いた加工依頼の仕事をしたりしていました。 

 

なるほど、まずはアルバイトと自営業を半分ずつ始めていったということですね。

―そこから独立できたことは、今思えば幸運でした。ある工房に就職して決まった個数の品物を作り続けることにもやりがいはあるし、営業が苦手な人は楽ですよね。でも私は半強制的にでも自立することで手作り市にも出て、様々な仕事をくださる工房に行き来する機会があった。実際、それに対して代金を頂けると自信を得られたんです。そしていずれ完全に独立しようと思っているうちにお世話になっている工房の建て壊しがあり、そこから自分の工房の場所を探し始めました。それが現在の工房であるもくのすけができた経緯です。

 

 

▪小田原の地元の人たちが居てこその小田原漆器

 

鈴木さんが作る小田原漆器を作る上で大切にしていることはなんでしょうか。 

―「ふだん使いできるもの、役に立つもの、永く使えるもの」を大切にしています。これらはあえて作ったのではなく、気が付けば大事にしていたなと思うものです。小田原漆器はケヤキの木に摺漆という技法を使っています。そのため木目が見えるので素朴な、毎日使えるような特徴があるんです。また木というと、水にも弱いイメージがありますよね。でも小田原漆器は摺漆という技法によって、水にも強い丈夫なものになっています。このような特徴を活かし、日常使いしてもらえるようなものを目指しています。また小田原漆器は主役にならなくていいと思っています。食卓には色々な器が並びますが、それが全てケヤキの摺漆だったら少し華やかさに欠けますよね。ガラスや陶器がある中で1つ、2つある。そういう存在感で良いと思います。

 

小田原に住んでいると、地元の人との関係も大切になりそうですね。

―地元の人との関係は本当に大切だと思います。来た当初は知り合いがほぼいなかったけれど、十数年ここに住んでいると木工関係だけではない地元の方とも知り合う機会が増えてきました。小田原駅に自転車で行く途中におーいって手を振ってくれたりするんです(笑)。はじめの2、3年は修行が終わったら技術を持って関西に帰るつもりだったのに、小田原が好きになってしまい自分で工房を建ててしまいました。

 

そんな小田原の地元の方との今までの思い出も色濃そうです。

―最近展示をしたのですが、コロナの感染者の増加も踏まえ大きくお知らせしませんでした。なのに、小田原の知り合いがたくさん来てくれたのが嬉しかったですね。また、お孫さんへの誕生プレゼントとして子供椀シリーズを贈り物にしたいと言ってくれた方もいました。お孫さんが生まれるという大切なときに贈り物として選んでくれたことが凄く嬉しかったです。皆さん仰るのが、小田原の職人さんが塗って作っている、そういう地元のものを贈りたいときにとても良いと言って下さるんです。

 

▪自分が楽しく暮らしながら働く様子を多くの人にみてもらいたい

 

 

小田原漆器の職人が減っているという現状に対して、鈴木さんが取り組んでいきたいことはありますか?

―小田原漆器の職人には、漆を塗る職人と木工ろくろを挽く職人の2種類がありますが、両方減っています。私は木工ろくろが中心だけど、漆も自分で塗れるようになりたいと思い両方行っています。自分が小田原漆器職人としてやっていけているという様子を継続してみせることで、やりたいと思ってくれる若い方が増えればいいなと思っています。自分が作ったものを買ってもらえるのは楽しいし、時間の使い方も自由だから知り合いの店にランチに行ったり、地元の人と交流しながら毎日暮らすのも楽しい。また、小田原の人たちに小田原漆器を知ってもらう活動も大切ですね。最近は小学校の授業で地元の産業や伝統工芸品についての授業があるそうで、子供たちは触れてくれている。でも大人世代だと、地元の人でも小田原漆器を知らない人がいます。3年前に漆器組合に入れていただきましたが、地元の人に小田原漆器を知ってもらうために、小田原にある清閑亭という建物で1年に1度は展示をするように呼び掛けています。出展者が減ってしまっていて、今年は2人で展示を行いましたが、自分1人になってもやっていきたいです。

 

最後に、鈴木さんご自身やもくのすけが理想とする働き方について教えてください。

―仕事していると、休日は決めた方がいいと言われることがあります。でも私は公私混同したくてこの仕事を選んでいるので、本読み、映画を見ている時間さえも、そのシーンに映るあの器いいかもって思いながら生きたいなと思います。

 

 

アリスラパンさんへ

カミイチで最初に話しかけていただいたご縁で色々交流続いていて嬉しいです。アップルパイがとにかく美味しくて仕事がしんどいときも、アップルパイを食べて乗り切れたことが何度もあります。仕事が忙しかったり、遠くてなかなか伺えませんが、またおいしいお菓子をたくさん作ってください!

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今回私は小田原に初めて訪れた。また訪れたいと思った街だった。そんな街はなかなかない。歩く速度が落ちる街というか、自分にとっては居心地の良い温度感 だった。鈴木さんはそんな小田原の良さを見抜き、ここで工房を営んでいる。だからか、鈴木さんの小田原漆器の作品には使いにくい・特別の日向けのイメージをもつ木の製品とは違って、自分のそばに居てくれるような温かみを感じた 。また鈴木さんが「小田原で地元の人と交流しながら楽しんで生活している姿を見せたい」と言っていたことが私には響いた。就職活動で、「誰と働くかが大事」みたいなことを何度も聞いたが、その「誰と」に地元の人が当てはまるなんて私は想像しただろうか。地元の人との交流からインスピレーションを受けながら働くという世界に私も引き込まれ、取材後には小田原で仕事か、いいなと思っている自分がいたのだ。もちろん、その裏には鈴木さんの長年の努力と様々な困難があったことには間違いないけれど、今ならその一歩を踏み出すのは以前より怖くないかもしれない。生活することが仕事、そんな生活を一度は経験してみたい。

小嶋 野乃香

 

 

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