AETE あの人がいるから旅したくなる。アエテ

2023.04.05

アエテ interview

AETE初代編集長の早川遥菜さん。
私は、彼女の21歳がずっと気になっていました。

早川さんは21歳でAETEの立ち上げに携わり、この温かいメディアの原型を作った人です。
今の私と同じAETEのライターであり、誕生日も近く、就活中。21歳の彼女と私には多くの共通点がありました。彼女が書いたyet21の文章を読んで、彼女の21歳の景色を見てみたいと思った私は、早川さんに取材を申し込みました。

大事にしていること。それは、「物語と物語の掛け算」

ー21歳の早川さんにとって、AETEは切っても切れない関係だったと思います。まずは、AETEとの関係について教えてください。

大学3年生のときに偶然目にした広告が始まりです。
AETEを運営する株式会社STORY&Co.が当時掲示していた広告の、「おいしい料理を作れるあなたは、おいしい料理の作り方も売れる」というキャッチコピーが素敵で、思わず会社に連絡しました。STORY&Co.の事業で、体験を提供したい人と体験したい人を繋ぐ「AND STORY」というものがあるのですが、連絡したことをきっかけにその体験のレポートを書き始めたんです。そのレポートを「もっと見えるようにしたい」という想いから始まったメディアがAETEです。

ーAETEのプロフィールで、『「母の作る」ハンバーグが大好き』と公言されていますよね。

そうですね。小学生の頃からつけていた日記のおかげで、物事を俯瞰してみる癖があるんです。人の言動には必ず裏側があるものだと考えるようになって。それを繰り返すうちに、なんにでも物語が潜んでいるから、お母さんのハンバーグもただのハンバーグではないと思うようになりました。

ー手作りが好きなんですね。

人の手がかかった物が好きなんです。そこに潜んでいる物語を伝えないまま単品で終わらせるのはもったいないと思っています。

ーそんな早川さんが立ち上げたAETEの編集方針はどのようなものだったのでしょうか?

「編集方針は毎年変える」です。毎年替わる大学生の編集長が中心となり、作りたいメディアを作っていってほしい、そんな想いを込めました。
でも、そのなかで忘れてほしくないこともあります。「自分たちには人と人の物語を繋ぐ役目があるということ」、そして「自分の気持ちを大事にすること」です。

私の代の編集方針は、人の物語を紡ぐことをメインとして、自分がそれに対してどう思ったのかを必ず入れることでした。

ー物語がAETEのキーワードでも、早川さんのキーワードでもあり、それが編集方針に表れているように感じます。

人と人が出会うことで、それぞれの物語や出会いが連結し、つながりが生まれることを、私は「物語の掛け算」と呼んでいます。そんな「物語の掛け算」を大切にしてほしいという想いをAETEには込めていました。
それから、出会った物語を通して自分と向き合う時間も大事にしてほしいとも思っていました。AETEが始まったのは私が21歳の頃ですが、私自身もAETEで紡いだ想いを大切に就活を行っていました。

ーでは、就活の面から見た21歳とはどのようなものだったのか伺いたいです。

就活をしていた21歳の始めのころは、萎縮していました。
印象的だったのは、合同説明会に向かうバスでの出来事です。そのバスに最後に乗った私は、補助席に乗せられたのですが、それだけでなんだか孤独を感じてしまって。
同じようにバスに乗っている周りの人はライバルだけど、きっと誰もが就活で答えを探している仲間でもある、そんなことを考えてやるせない気持ちになりました。

ーその後、就活との向き合い方に変化はありましたか?

北海道でのイベントが大きな分岐点となりました。
孤独を感じるなかで、1度就活を辞めたんです。就活解禁日の3月1日に、北海道で行われたAND STORYのイベントに向かいました。そこで出会った人々は、私よりも大人なのに伸び伸びと生きていたんです。話を聞くなかで私が抱いている悩みはちっぽけに思え、「いくらでも自分の可能性は広げられる」と感じました。

北海道でのイベントの体験から、就活で終わりじゃないと気づきました。
合同説明会で委縮していた自分は消えて、人と会えるようになりました。自己分析を通して、新しい自分に出会えることも好きになれたんです。

■大人になってから気づいた、余白の美

ー21歳のころの早川さんが、どのような社会人像を描いていたのか気になります。

外見で言えば、スーツを着て、ハイヒールを履いて。そんなイメージです。
仕事としては、東京で自分がいいなと思った素敵なものを、自分の頭を使って世の中に広めたいと思っていました。
先ほども触れたとおり、昔から人の手がかかったものが好きなので、物に込められた想いや物語を伝えたいと考えていたんです。

ー実際の自分と想像していた自分のあいだにギャップはありましたか?

新卒で入社した会社では、自分にとっての理想が叶えられていました。姿も仕事内容も全て理想通りでした。でも、好きなものを追い求めすぎるあまり、周りのことを見失って、好きなことも嫌いになっていたんです。私にとってはそれがどん底でした。理想は叶ったけれど、自分に足りないものは時間と余白だったと気づきました。

ー21歳のころの早川さんは、余白を求めていなかったのですね。

21歳の自分は、スケジュールがパンパンの生活でした。好きなものをただひたすらにがむしゃらに追いかけていたんです。もともと動くことが好きな人間なので、そんな自分が好きでもありました。動き続けたおかげで、後悔しない学生生活を送れたのだと思います。

ー余白の大切さに気づいた今、21歳の自分に伝えたいことはありますか?

「つらくなったら逃げる」です。
学生のころの自分は、逃げは負けだと思っていました。だから、サークルもバイトもAETEもぜんぶがむしゃらにやり続けました。
それもいいけれど、今考えれば余裕がなさ過ぎて、自分がかわいそうだったなと思うんです。後退することはあなたにとっての一歩になるかもしれないと伝えたいです。

■目標は、余白の時間の充実

ーこれまで21歳当時のお話を伺ってきたのですが、21歳と今を振り返って、大切にしているものの変化はありましたか?

ありました。
21歳の自分は、好きなものを追求することを大切にしたいという想いが強かったです。でも、新卒1年目の会社で余白の大切さに気づいてからは、自分が大学生の時に気づけなかったことに重点を置くようになりました。

ーというと?

時間やお金に余裕をもち、1日のなかに何もしない時間を作れるようになりました。余白の時間を勿体ないと思わなくなったのです。
とはいえ、もともと動くのは好きだから、また何かを始めたいという思いが芽生えたら、それに向けて動き出したいと思っています。そのときは自分にスポットライトを当てず、自分がいいなと思う人をもっと多くの人に知ってもらう活動をしたいです。

ー大切にしているものの変化は、常々意識されてきたのでしょうか?

実は5年日記手帳を2016年からつけているんです。日記をつけつつ過去の自分を振り返ると、出会っている人は毎年毎年変わっていて、去年と同じことは起こりません。それが面白くて、日記を見ながらニヤニヤしています。そうやって、日々振り返ることを楽しみながら、自分の中の変化を意識しています。

ーでは最後に、早川さんが抱いている未来のイメージはありますか?

今は、好きなことを追い求めながら、余白の美しさを知るようになりました。これからは、余白の時間を充実させていきたいと考えています。余白の美の追求をしていきたいけど、それがなんなのかはまだ探り中です。

取材当日は、池袋の珈琲館で待ち合わせました。
早川さんの周りには温かい空気が流れていて、緊張していた私の心をすーっとほぐしていきました。

ずっと気になっていたAETE初代編集長。
余白を大切にしていきたいと語りながらも、今までの選択を後悔はしていないと真っ直ぐに語る眼が印象的でした。

日記を起点に話を展開する様子を拝見し、早川さんにとって、日記は人生そのもの、生きている証なのだと感じました。

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